口から出まかせ日記【表】

食欲さん、さようなら。

たまにジジイになっている。

無職になって半年が過ぎ、季節を2つまたいで、もはや夏。家のポストには、近所の神社でやる夏祭りのチラシが入っていたりする。こういう小さなお祭りは昔から好きで、ブラブラと眺めに行くこともあります。

 

神社とかお寺とかって、境内に入る前に長い石段がありますけど、最近、そういうところを上るとき、両手を握りこぶしにして、腰に当てながら上っていることに気が付いたのです。衝撃を受けました。こりゃあ、腰を悪くしたおじいちゃんおばあちゃんの上り方ですよ。

 

20代の頃、階段なんてのは一段抜かして、ぐいぐいっと上っていたもんです。階段など恐れるに足らずだった。ところが今や、一段一段、足元を確かめながら慎重に上るようになっている。なにをそんなに怯えているのかよくわかりません。というか、階段どころではなく、ふとした生活態度のあらゆるところに、すでに老境の影が忍び寄っているのです。

 

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こないだバイクに乗って海の近くに行き、帰りに温泉に入ってきました。平日の昼間だったので、客はおじいさんだらけです。ひとっ風呂浴びて脱ぎ場に戻ると、まず扇風機の前に陣取ります。股間の湿気をそこで飛ばすわけですよ(笑)。「ああああ~」と意味のない言葉を反響させながら、しばらく風にうたれて、ロッカーに戻る。

 

そして、にじみ出てくる汗をタオルで吹きながら、「ぷふぅ」とか「ぶはぁ」とか、いちいち息を吐きながら着替える。服を着たら洗面台の所に行ってドライヤーで髪を乾かす。「やー、あついなー」とか「あー、いい湯だったね」とか、誰に言うでもなく、つい口に出てしまう。

 

で、仕上げに綿棒でくりくりと耳掃除をしつつ、次々と風呂から上がってくるおじいさんを観察したんですが、震撼して、すっかり汗が退きました。いま自分がやっていた一連の動作とおんなじことを、おじいさんたちがそのままそっくりやっている。2台並んでいる扇風機の前で、それぞれの股間を乾かす。無闇に息を吐きながら服を着る。ドライヤーで残り少ない髪を乾かしながら、「いやいや、もう死んでもいいなこりゃ」などと呟く。

 

どうして私は、目の前の老人たちと同じような所作を身に着けてしまったのだろう。股間をぶらぶらさせているお年寄りに囲まれて、ひとり考え込んでしまいました。この人たちの動作を覚えようと努力したことなど一度もないというのに、どうして。窓から望める広々とした太平洋を眺めながらも、なにか沈鬱な気持ちが抑えられませんでした。

 

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遠くの波打ち際のあたりをじっと眺めているうち、ある考えが浮かびました。ウミガメは砂浜で産卵する。羽化した後、赤ちゃんは大海原を目指す。そして大きく成長したのち、再び自分の生まれた砂浜に戻り、産卵する。誰に教えられるわけでもなく、ある時期を迎えれば、自然とその時に応じた知識、知恵、習性といったものを発揮することになる。それは遺伝子情報に、アルゴリズムとして刻み込まれた、動物の性(さが)なのか。

 

それは人間も同じなのかもしれない。腰の握りこぶしを当てて階段を上る。扇風機の前で股間を乾かす。おしぼりで顔面と耳のまわりをごしごしふく。どこかに座るとき「いやぁ~どっこらせ」と声を出す。散歩に行くとき手ぬぐいを首の周りに巻く。子供に渡すための飴玉をズボンのポケットに常備しておく。「最近の若い奴はなに考えてるかわかんねぇ」と言う。

 

知り合いに会うと最近やった手術の話で盛り上がる。「あそこの先生の触診は丁寧にやってくれっからいいよ」などと近隣の病院に詳しくなる。家庭菜園を営む。盆栽や骨董品にハマる。「家系図をつくりませんか」なんていうセールスマンに騙される。「オレだよオレ。ベナンで海賊に捕まっちゃった。300万あればなんとかなるみたい」などと偽の孫に騙される。頻尿。アクセルとブレーキを踏み間違える。

 

これらが、意図せずとも人間に組み込まれたものであるのなら、それに太刀打ちする術はあるのでしょうか。いやむしろ、こういったものから逃げるなどと考えず、自然と自分の中から浮かび上がってくる「じじ臭さ」を受け入れることこそ、人間として意義あることなんじゃないのか。いまのところ、私の中で答えは出ていません。