口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

素の自分というのがよくわかりません。

(今年の3月頃に投稿したものを再編集しました。「素の自分」とかよく言いますけど、信用できない言葉だなと思っています。「幽霊」と同じようなもんじゃないですか。関係ないですが、いやぁ、30代になってようやく素麺の美味しさがわかってきました。)

 

★★★

 

 

はてなに登録してから、今まで以上に人のブログを読みます。けっこう悩んでいる方がたくさん居られます。特に職場や学校での自分のふるまい方は本来の自分ではないので、もっと「素の自分」のままで生活したいと考えられている方が多いようです。でも私は、素の自分というのが、いまいちよく分かりません。理想的な自分ならわかる気がしますが。

 

例えば、他人からかっこいいと思われる。また、頭が良い人だと思われたり、優しい人だと思われたりする。そんなふうに、他人からポジティブな印象を受けることが出来たら、私からすると理想っぽい感じがします。また、友達にパーフェクトなツッコミを返したり、道端で小銭を拾ったり、空に虹がかかっていたり。些細なことでもそれが積み重なれば、日常が理想郷に近くなっていく。

 

ただ、現実的にはそうならないことの方がはるかに多いです。人と話が通じない。上司と反りが合わない。自分のミスではないことで注意される。女子には失笑され、同僚にツッコミをいれると珍妙な表情をされて空気が凍る。

 

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私だってそんなことは日常茶飯事でした。今はもう無職なので皆無です。だからといって、「素の自分」で生活しているとは思っていません。あくまでもストレスの無い環境で生活できているというだけであって、ありのままの自分みたいなものを発揮できているとは思いません。もちろん、好きなことをして生活していますが、それができたとしても「素の自分」だという実感がありません。単に好きなことをして生きているだけです。

 

微妙な言い方かもしれないですが、「素の自分」とか、「本来の自分」とか、ずいぶんと器用な表現をするよなと思います。自分のことを分かり切っているような感じの言い方です。自分という存在に、「素」だとか「本来」だとか、そういうものがあるということを、この人はどうやって知ったのでしょうか。

 

人間というのはいったん生まれて人生が始まってしまったら、「素」とか「本来」とかいうスタート地点のようなものに戻れるのだろうか。私はそう思いません。その人が成長して色んな環境や色んな出来事を通すことで、自分自身に対しての新しい要素とか情報が増えていくのみだと考えています。

 

どうもこの環境では合わない、自分の好きなように行動できないと思った時に、以前、自分の思い通りにいった時の要素とか情報が回想される。それだけのことでは。「素」だとかそういうことではなくて、単に有利だった時や、自由に動けた時の記憶が、蘇っているだけではないのでしょうか。

 

訳あり 島原そうめん (3kg)

訳あり 島原そうめん (3kg)