口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

旅先の猫。

ようやく太陽が拝めるようになり、蝉も急にうるさくなってきて嬉しい。夏が息を吹き返した感じですな。こうなると、とにかくどこかへ出かけたくなってきます。夏の何がいいって、死なないことです。いやもちろん熱中症だとか、そういう危険はありますけど、夜中、外で寝っ転がっていたとしても、気候的に死にはしませんよね。

 

冬の厳しい東北人の発想なのかもしれませんが、夏というのは冬とは対照的で、「安全」という感じはします。冬はそのへんで気軽に野宿なんて出来ません。当たり前ですが。冬は慣れているとはいえ、とても心細い季節です。一番大事なものから見放されたような感覚の上で、生活が形作られている。そして夏が来ると、それだけで人生の勝ち組にでもなったようになり、無茶をして、川で溺れ死んだりする馬鹿な人もいるので私も気を付けたいところです。

 

今日はふと思いついて猫の話をします。猫といっても近所の猫ではありません。うちの周りをうろうろしている地域猫(そう呼べと町内会で言われている)は、こっちが「やぁ、どうも」とかいっても、何の反応もしません。全然かわいげが無い。雄猫が多いですが、みんな、片目が無かったり、足を引きずっていたり、歴戦の猛者ばかり。無職でふらふらしている人間などは、眼中に入るわけがない。

 

こんな、近所の猫の受けが悪い私なのですが、どこかへふらっと旅行に行って、その先で出会った猫とは、不思議と心が通じ合うことが多いんですね。旅のある地点で、必ずと言っていいほど猫との出会いがある。

 

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こちらと仲良くなるのは、こんなところで一匹で何してるんだろう、と思うような猫です。仲間外れにされているとか、そういう可哀そうな感じじゃなく、他の仲間が知らない自分の好きな場所を見つけて、そこで存分に過ごしている。悠々自適な印象の猫。

 

そんな猫と出会うのは、だいたい、道に迷いまくっている時です。迷うのは、私自身がけっこうひねくれた性格なのが起因で、この道をまっすぐ行けば誰でも知っている観光名所に着くんだけど、あえてこっちのわき道を通ったらどうだろうなどと考え、結果、右も左もわからなくなっている状態なのです。

 

お地蔵様とか無縁仏なんかが並んでる薄暗い湿った道を進んでいき、ああもう、これは現世に戻ってこれないな。最後にせめてうな重が食べたかったなどと考えていると、急にパッと視界が開いて、素晴らしい眺望が開けたりする。

 

すると、そこにぽつんと一匹、猫がいて、にゃあと鳴きながら、素直に近づいてくる。迷った先に美しい景色があり、猫もいる。物語みたいな素敵な光景。そんな場面と出会うことが実際に多いのです。

 

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こういう邂逅がもっと深い意義を持っている気もします。自分にとっての幸福の出会い方を、示唆している感じがするときがある。でもそれは後から思い返したときの話。その瞬間は猫と一緒に遊ぶことしか頭にない。その辺に生えていた雑草を抜いて、「ほれほれほれほれほれ」と、猫の目の前にちらつかせたり、体を撫でまくったりすることしか考えられないのです。

 

で、いつの間にか日が傾いている。あんなにイチャイチャしていた猫も、「にゃあ」と一声鳴くと、ぴょんと飛んで、どこかへ行ってしまう。そして、ひとりで来た道を戻っていく。観光名所なんかより一匹の猫との出会いの方が、切実に、素晴らしいと感じつつ。