口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

血まみれの夏休み。

今週のお題「夏休み」

 夏休みといえば、思い出すのが、私が小学校二年生の時のことです。当時、両親と私は持ち家ではなく、「タウンハウス」という集合住宅区画の一種に住んでいました。簡単にいうと、同じ外観、同じ内装、同じ間取りのシンプルな住宅が横一列に並んでおり、その一軒に毎月の家賃を払いつつ住んでいたのです。

 

タウンハウスでは住民同士の関わり合いが深く、そこの町内会では毎月のようにイベントを開いていました。もちろん、子供同士でも縁ができるわけですが、その関係性というのはけっこう野蛮で、陰で暴力沙汰もあったようです。一度、タウンハウスの裏にある山林の一部が燃えたことがありましたが、ここに住む子供の放火によるものでした。

 

そのためか、タウンハウスのある一帯は、周辺の住民からは一種、警戒されている感じがあったと母が後年言っていました。私自身は、タウンハウスとは関係ない別の場所に住む子供と遊ぶことが多く、暴力に加担したり、晒されたりすることもありませんでした。

 

夏休みになると町内の子供を集めて、近くのお寺に一泊し座禅修行をするというイベントがあり、私は小学2年生の夏に一度だけ、嫌々ながら参加しました。隣の家に住むS君も一緒に参加しました。隣同士なのに、S君とは遊んだり話したりしたことも、覚えていません。学校でも同じクラスであるにも関わらず、思い出せません。

 

私と、非常におとなしいS君と、その他の野蛮な子供を加えて8人くらいで、お寺に連れていかれました。そして、重々しい仏像が鎮座している本殿で、けっこう男前の住職の話を長々と聞かされることになりました。それほど大した話ではなかったような気がします。

 

その後は、廊下の雑巾がけやら、庭の草むしりをやる羽目になりました。わたしとS君とで、庭に転がっている落ち葉やら蝉の死骸やらを集め、それをボイラーで燃やす仕事をしました。なんだか焼き芋を焼いたような香りが漂っていたのを覚えています。S君は虫が触れず、思いつめた表情で立ち尽くしていたことも、覚えています。

 

その後、夕飯前の少し涼しくなった時間帯に、30分ほど座禅を組みました。野蛮な子供から次々にリタイアし、「こんなことやってられっかよ~」とか言いながら、どこかに行ってしまいます。住職が戻るように声をかけても、「ハゲ」とか「クリリン」とか罵詈雑言をはいて、寺の境内で喧嘩を始めてしまう有様です。

 

結局、わたしとS君だけが、30分以上座禅を継続しました。終了後、なぜか住職は目を潤ませながら、「大丈夫、君たちは立派になるぞぉ。ぜったいなるからなぁ」と仰ってましたが、わたしは出世せずに現在無職です。その後すぐ夕飯となり、もちろん精進料理をいただきましたが、何を食べたかまったく覚えていません。

 

風呂に入り、夜の八時過ぎには布団を敷き、早々に消灯されてしまいました。寝ていたのが仏像の鎮座する本殿でして、闇の中で仏様の顔の輪郭だけが不気味に光っていました。小学二年生といえどその時間に寝るのはまだ早く、しかも寺で夜を過ごすなんて滅多にないことで、みんな興奮して、起きて枕投げをしていました。私だけ、布団の中で安らかな気持ちになってしまったのか、他の子に混ざらず寝ていたと思います。

 

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突然、頭の上で割れる音がして、布団から体を起こしたら、そのすぐわきを、鼓膜が潰れるかと思うほど甲高い悲鳴を上げながら誰かが走ってきました。その後に続くように、「やべえやべえやべえやべえ」と囁くような声が追いかけていき、その後すぐ、向こうの明かりがついた部屋の方で、「うわあ~」と住職とその奥さんらしき、大きな声が上がりました。

 

本殿の明かりをつけて、状況が飲み込めました。私が寝ている間に、他の子供たち同士で追いかけっこが始まり、ろくに明かりもつけずそのへんを走り回っていたようです。本殿と居宅を結ぶ廊下の扉は、頑丈な二重ガラスの引き戸です。ようは、子供達に追いかけられていたS君が、そのガラス戸に直接ぶつかったのです。

 

ガラス戸は粉々で、割れた地点から向こうの部屋まで、ものすごく太い筆でなぞったような血の痕跡が走っていました。S君の状態は悲惨でした。住職が「お前ら、なにがなんでも来んな」と雄たけびを上げていましたが、ちらっと覗きました。S君は椅子に座り、真っ赤になってブルブル震えていました。

 

椅子の下は鮮血が広がり、住職とその奥さんが血にまみれながら、S君の全身に刺さったガラスを抜いていました。右手の指の間が大きく裂けており、超音波のような悲鳴をS君が上げると、私の目の前まで血が飛んできました。

 

その後、救急車でS君は運ばれ、母親たちが住職の前で土下座をし、なぜか私はそれをカメラで撮影していて、写真がアルバムに残っています。もう二度とお寺に泊まることなんてできないなと子供心に感じましたが、なんと、あいかわらず今年の夏もお寺で泊まる予定があるようです。

 

S君はしばらく学校に来れませんでした。私は心配しました。怪我が治って戻ってきたら、S君と遊ぼう。そして仲良くなって、なるべく僕の他の友達とも仲良くなってもらおう。そうすれば、S君を守れるかもしれないと、そう思っていました。私は、お寺でのS君の事故は偶然ではなく、他の子供たちが故意にガラス戸まで追い込んだのだと考えていました。今でもそう思います。お寺での半日だけで、他の子供とS君の間に微妙な関係ができていたのを、うすうす感じてもいたのです。

 

しかし、S君とはその後会っていません。ある日、引っ越し屋さんのトラックがきて、S君の家の家財道具をどんどん詰め込んでいきました。S君のお母さんがいたので、話しかけると、「Sはずいぶん良くなった」というのですが、それ以上なにか聞いても、曖昧にほほ笑むだけで、話してもらえませんでした。

 

トラックが行ってしまい、母親と一緒に、S君のお母さんを見送りました。S君のお母さんから私に、「Sからのプレゼント」と、当時流行っていたスラムダンクに出てくる流川楓のキーホルダーを渡されました。そう、S君はスラムダンクが好きで、アニメが始まるとオープニングの歌を全力で歌唱しているのを、壁越しに聴いていたのです。

 

S君の事は壁越しでしか分かりませんでした。そんな曖昧な関係のまま、曖昧な事故が起こり、曖昧なまま遠くへ行ってしまったのです。S君の家族は、この場所を見捨て、もっと安全な場所に避難したんだ。そう考えると、何ともいえない無力感と寂しさで体が沈みこんでいく感じを覚えました。今でも、平日のほとんど人のいない住宅街を歩いていたりすると、ふとその感覚が戻り、夏の暑さなど、無縁のように遠のいていきます。

 

「君たちは立派になるぞぉ」という住職の言葉。私はともかく、S君はそうあってほしい。会えなくてもいい。どこかで元気にしていてくれたらいい。そんな、曖昧なままのS君が、くっきりとした夏の情景を背景にして、曖昧な結びつきのままに、鮮やかに思い浮かぶのです。

 

ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。私はいま、暑さのあまり、和室でひとり、全裸です。すいません、住職さん、どうやら立派な大人にはなれないようです。