口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

人の持つ「神話」について。

(今年の5月頃に一度投稿したものを再編集しました。人間、年を取ってくると、同じことを繰り返し話すようになりますが、それはその人にとっての「神話」みたいなもので、大事なものです。人間ひとりひとりが持つ「神話」と、どう付き合っていくべきか。人の記憶の将来はどうなるのか。みたいなことを書きました)

 

★★★

 

家の前の側溝と道路の隙間の溝から、急にぼさぼさと草が生えてきてしまったので、鎌でほじくり返していたら、近所に住んでいるおじいさんが通りがかりました。「いやぁ、いいことだね~」と感心されまして、腕組みしながらこっちの作業をずっと眺めて居られるんですが、何かしてるのを他人にじっと見られるのは苦手なのです。つらかった。

 

だいたい終わった頃合いで、おじいさんが、「うちの子なんてさぁ、家の手伝いなんて全然しなかったなぁ。こういうのは親の教育なんだよねやっぱり~」とかなんとか話し始め、結局は、ご自分の息子さんの自慢話になっていくのです。

 

しかし、まったく頭に入ってこない。陸上部。早稲田。留学。放浪。起業。帰国。分譲マンション。株式。結婚。アフガン犬。単語しか認識できない。仕方なく、「ええ、ええ、ええ、ええ、ええ、ええ」と微笑みながら繰り返すだけの機械になりました。

 

15分も話すと満足したらしく、のろのろと去っていきました。そのおじいさんとは年に数回は会い、そういう取り留めのない話の相手になるのです。話の内容は数年間まったく同じ。足されもせず、引かれもしない。彼にとっての神話みたいなものなんでしょう。

 

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介護の仕事をやっていた頃、利用者様が同じ話を繰り返しされるのは日常的なことだし、なにより健康であることの証拠として認識していました。いつもの話をされずに黙りこくっていたりするのが心配で、話しかけてみて、いつもの話が聞ければ、ああ今日も大丈夫かなと安心できます。

 

同じ話を繰り返すというのは、自分の感情と記憶が大事に保存されていることでもあります。いい思い出を話されるときは表情が若返ります。もちろん良き思い出とは限らず、恨みや妬み、怒り、恐怖を、自分の「神話」として持っている人もいる。

 

年齢を重ね、脳の力が衰え、判断力や記憶力、インプットの能力が低下してくると、それまでの人生で特に自分と馴染み深かった「感情」というものが、個性としてはっきりと表に出てきます。そして、過去の強い感情と紐づけされた記憶が、その人の核心として残るのでしょう。これが私のいう、「人の神話」です。

 

私も、いずれその当人になると考えれば怖いことでもあり、自分の感情や記憶というものに、責任を持たないとな、という気になってきます。でも、いつ、どんなことが、自分の神話となるかは分からない。記憶が少しずつ網目から流れ落ちていく中で、都合よく残留する記憶を自分で選択できるのか。また、辛い記憶を改善する力が人にあるとしても、その力の差でもって、幸福な人間か、不幸な人間かが別れてしまうのでは、とか。考えていくと沼にハマっていきそうです。

 

未来的な話だと、人の記憶をクラウド上にアップして、必要な時にインストールするとか、そういう世界に間違いなくなりそうですね。そのうち端末が頭の中に入って、人間の脳の力や記憶力をバックアップするようになるでしょう。というか現時点で、ある程度そうなっていますよね。後は頭に入れるか入れないか、倫理の壁しかないでしょう。という事は、未来では勝手に記憶を改ざんされたり、他人の記憶をインストールされたりする犯罪も勿論起きそうで、それはそれで怖いです。