口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

「子供は好き?」と聞かれたら、「子供による」と答える。

同じような感じで、「犬は好き?」と聞かれると、「そうですね、犬によりますね~」となるし、「猫は好き?」と聞かれれば、「そりゃ、やっぱ猫によりますね~」という返事になるわけです。

 

「カレーは好き?」と聞かれると、私の脳裏にいままで食べたカレーのイメージが無数に浮かび、その中には激烈に美味かったカレーもあり、絶望的な不味いカレーもあったわけで、経験を踏まえた正直な答えとしては、「カレーによります」となります。ただ、こういう答え方で相手は納得しない事が多いというのは重々承知しているんです。

 

「子供が好き?」と聞いてくるのは、経験上、だいたいは異性でしたが、私が「子供によるかな~」などと答えると、なんとも言えない不満そうな顔をします(綺麗な人はより綺麗に、そうでもない人はさらにそうでもない印象になります。すんません軽率でした)。

 

そういう事じゃねえんだよアホと。彼女の心の声がそういっているのは分かっているんですが、分かっていてそういう答え方をするのは、私の性格が悪いからです。人間の顔の表情が変わるのが好きで、誰かと仲良くなると、その人が持っている表情を出来る限り引き出してみるのが楽しいんです(ごめんなさい🐸)。

 

ただ、「子供が好き?」と聞いてくる相手の本音もはっきり言って褒められたもんじゃない。「子供が好き?」と聞いてくる人の意図というのは、相手に「子供は好きだよ」と、そう答えてくれることを押し付けるか、もしくは「子供は嫌いだ」と、そうはっきり言ってもらうことで、「自分とは相容れない人なんだ……」と納得するためであることが多いようですね。だから、わりと独裁的な声のかけ方だなと感じます。

 

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他人に「○○が好き?」と聞く人は、その人自身、「○○が好きなのは当たり前」という世界観をもっている場合が多い。そして、「○○が好きなのは当たり前」ではないことを嫌います。関係する人に対しても「○○が好きなのは当たり前」という感覚を求めてくる。そんな、自分の基準に沿うか沿わないか、最初の判定をするうえでの試金石として、「○○は好き?」と、言葉をかけるのです。

 

私は「○○が好き?」と聞いてきた人に、逆になぜ○○が好きなの?」と必ず聞くことにしているのですが、明快な答えを聞いたことがほとんどありません。「え?」とか「はい?」とか、「○○が好きなのは普通じゃない?」とか。要するにその人は、自身の感覚で色々な事を考えたりしながら「○○が好き」といっているのではなく、大きなものに巻かれて生きているだけなのです。

 

その時点で、私はその人をある程度は見限ります。なぜ見限るかというと、危険だからです。「○○が好き」という感覚を他人任せにしているという事は、他人の意識次第でどうにでも変わる人間なのだと考えます。たとえば、社会が圧制的になって「○○は殺していい」という感覚が広まったときに、その人は容易に「○○は殺していい」という意識に、賛同してしまうかもしれない。

 

そんなこと言ってたら、自分の好きな人が、いったい何が好きなのか分かんないままじゃないか、という人がいるかもしれない。それは、相手からの信用次第ではないでしょうか。あなたが信用されていれば、何が好きなのか、ぽろっと漏らすと思いますよ。

 

私も思い返してみて、特に仲の良かった人から、「○○は好き?」なんて聞かれたことが無い。学校からの帰り道とか、居酒屋のカウンターで飲んでいた時に、相手からぽろっと、ちょっとだけ恥を含みつつ、儚く、上品に漏らしてくれるものです。「……実は俺……熟女モノが好きなんだ……」と。それに対して、「分かるよ……」と一言返す。人間、それだけでいいのです。