口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

得意料理がありません。

(ブログが消滅する以前に投稿したものを再編集した記事です。家事は大体できますが、料理は正直めんどくさい。めんどくさいというのはけっこうなストレスです。料理を好きになってしまえば、そのストレスから解放されるわけで、なんとならないかなぁと考えています)

 

★★★

 

基本的に家にいることもあり、家事はほとんど全てやっています。掃除、ゴミ出し、洗濯、回覧板を回す、新聞代を払う、宗教おばさんの勧誘を受け流すなどなど。生活しているだけでも、仕事から逃れられないのです。

 

夕食もよく作ります。ひとり暮らしを6年ぐらいしていたので、それなりに色々と作れます。カレーとかシチューは簡単。野菜炒めなんかも簡単にできるから好き。最近は暑くなってきたから、キュウリと中華クラゲの和えものなんかいいですよね。簡単に一品できるし。

 

この「簡単にできる」というのが私にとって大事で、凝った料理なんか作ろうとも思いません。10分以内にパパっとできるか、それより手間はかかるけれど、煮る時間がほとんどで待ってればいいだけとか。

 

すると、自分の作れる料理のレパートリーが、そのへんの食堂のメニューみたいになっていきます。生姜焼き定食。焼き魚定食。肉じゃが定食。振り返ってみて、あれ、自分の得意料理ってなんかあったっけ、と考えた時に、胸を張って「これだ!」と言えるものが、無いことに気づきました。

 

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「得意料理……うーん、味噌汁かな?」といったところで、なかなか認められないような気がする。別に認められなくてもいいんですけど。ただ、人生の嗜みとして、胸を張ってアピールできる得意料理があると、かっこいいなぁと思うんです。アブラボウズジェノベーゼソース添え」とか、バレンシア風けんちん汁」とか、言ってみたいです(適当)。

 

料理に対して簡単にできることばかり重視するのは、「特技」とか「趣味」みたいに、自分にとって重要なものとは考えていないのかも。あくまで生活の流れの中で、「仕事」のひとつとして処理をしているのかもしれない。趣味や特技といえるなら、暇さえあれば台所に立って、小麦粉まみれになっていそうです。

 

そもそも責任感の在り方が、仕事と趣味では違いますね。仕事の責任感とは、「自分」と「他人」を確実に含めて捉えておく必要がある。「仕事」としての料理は、自分の責任において、家族が安心して食べられるものを提供する必要があります。

 

ただし「趣味」なら、自分への責任感だけで世界が閉じていても構わないわけです。めちゃくちゃインスタ映えするけど、風味が崩壊している料理を作ってもいい。「それ、マズいから食べちゃダメです」と言っているのに食べようとする人間がいた場合、作った人間に責任は無く、食べた人間に責任がある。

 

あくまで自分の責任において遊べるのが趣味です。そのあたりの、遊びの感覚が無いのが、私の料理なのだと思います。そう考えると、なんかつまんないですな。料理が上手くなりたいという欲はそれほどないけれど、もうちょっと楽しくできないものかと、考えてはいます。

 

★★★

 

 【追記】

最近は味がどうこうというより、自分なりにオシャレな感じにトッピングしたり、使ったことがない調味料を使ったり、微妙な名前を付けたりして、料理へのモチベーションを向上させています。上の画像は最近作った『夏野菜のオーブン焼き~高原のそよ風と共に食え~』です。上にやたら載ってるのが、ほっといたら半野生化したセロリです。