口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

草むしり人生。

八月中はしばらく実家を離れて遊びにいきましたが、それから帰ってきて、まず目に飛び込んできたのが、雑草です。私がいない間に、庭とか花壇が草まみれになっておりましたのです。大草原の小さな家かよwwwwww

 

うちの家族で草むしりをするのは、自分と母親くらい。他のメンバーはどうも、外に出たり、近所の人と顔を合わせること自体が苦手なようで、戦力外です。そして平日は、私以外の三人とも働いているわけでして、なし崩し的に草むしり当番は私になるのです。

 

「草むしりがめんどくさかったら、除草剤を使ったらいいんじゃん」と思うかもしれないですが、もちろんいろいろ試してきました。いま家の周りに生えている雑草は、あるゆる除草剤からも生き残った強力な草たちの子孫なわけです。何を撒いてもぴんぴんしている草です。弱るどころか、逆に息を吹き返したように成長の度合いを高めるので、逆効果です。

 

結局、人の手で抜くという原始的な方法が、今のところ一番効果的。それで、こないだ一日をかけて、雑草を全部手で抜いてやりました。草に始まり草に終わった一日でした。すっかり綺麗になり、大きなゴミ袋に5つぐらいは草がたまりました。終わった後は虚脱。「ああもうこれでしばらく頑張らなくていいや」と安堵し、その後はブログを更新するなどして、今日に至るまでまったりと過ごしてしまったのです。

 

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いま、ブログの手を止めて庭を眺めますと、目に飛び込んでくるのは、早くもそよぎ始めた秋風に揺れる大量の雑草です。ざわわ、ざわわ、ざわわ……森山良子の歌声が頭に響きます。『サトウキビ畑の歌』ですね確か。ただ、そこで揺れてんのはサトウキビじゃない。なんだかよくわかんない稲の出来損ないみたいな草です。

 

こいつはもう少し経つと、稲穂のパクリみたいな部分を露出し、そこから花粉、つまりアレルゲンを放出。家族中をくしゃみと鼻水に苛む邪悪な草です。またすぐにでも雑草抜きにかからねばなりません。明日か明後日、紫外線が強くない日を狙って頑張ろうかと思います。

 

改めて感じるのは、草むしりに取り組むためのスタイルを、もう少し余裕のあるものに変えてみようかという事ですね。雑草は無視して放っておくと、どんどん増えていく。この世に備わるあらゆる課題と同じような属性を持っているのです。それにどう対処していくかというのを、草むしりを通じて勉強することになるわけです。

 

たくさん雑草が生えてきたから、一気に体力と時間を投入してやる。これも一つの対処法で、悪いやり方ではないのです。ただ定期的に許容範囲を超えるものに対して、体力と気力を集中させる機会があり、それが済むと別な部分に影響を及ぼす。例えば、やる気がなくなり生産性が落ちるなどの、モチベーションへの影響が出るわけです。

 

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一気に済ませるのではなく、毎日少しずつ雑草を抜くという方法もありますね。雑草を抜くことを毎日の課題にすれば、体力と気力を一度に集中させて消耗することが無くなる。庭も一定の状態に保たれ続けるわけです。これは同時に、「雑草を毎日抜く」というタスクを生活に組み込むことであり、新たな習慣と共存できるかという自身の課題になる。

 

あとはもう根本的に、「庭をコンクリートで固める」とかですか。コストをかけて雑草という課題自体とおさらばする方法ですが、これは同時に庭の機能の完全消失を意味し、草花を愛でたり、植えたり、たまにやってくる動物などを観察したりする文化も同時に失います。

 

まったく対処しないという方法もある。雑草を生えるに任せておく。家の周りがどんどん草で覆われていくけれど、それを受容する。雑草だったはずが、だんだん木になっていき、家を覆い囲む。たまにそういう家を見かけますね。こうなるともう、そういう生き方だと言えるわけです。本人は満足なのでしょう。ただこうなると、世間体との兼ね合いという課題がでてくる。あと、放火とか盗難といった犯罪を呼び寄せる可能性も高まります。

 

雑草とどう接するかをちょっと考えるだけで、これだけ色々思いつくことがあるんです。身近な家事だからこそ、人の生き方と直結している部分が多い気もします。草むしりひとつにしても、一生悩んだり、考えるに値する課題が見出せそうではないですか。まこと、草むしりは人生ですばい(博多弁?)。