他の方のブログで、プロ野球の応援に行ったりだとか、アイドルのライブに行ったりしたことを書いている人も多いですが、そういえば私はまったく、プロスポーツのチームやアイドルグループのファンになったりとか、そういうことが一切ありません。
もちろん好きな歌手とか、作家さんとか芸能人とか、個人で好きな人はいて、ファンだと公言することもあるのだけど、なんだろう、アイドルグループみたいな多くのメンバーから構成されている集団を応援することができないのです。
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私が小学生の時はちょうどJリーグが開始された時期と重なっていて、友達同士でどこのチームのファンなのかみたいなのが、けっこう大事なステータスでした。ヴェルディ川崎、清水エスパルス、鹿島アントラーズなんかが人気でしたね。私はサッカー部に入っていたのに関わらずあんまり興味が無くて、適当にガンバ大阪が好きとか言って、話を合わせていたと思います。
それ以降も「応援する文化」がわたしにはまったく育ちませんでした。大学が仙台だったので、友達に誘われて「ベガルタ仙台」とか「楽天イーグルス」の試合の応援は行ったことがあるんですけど、自分の中で定着しませんでした。
試合に行けば行ったで楽しめるんですけど、それは周りの雰囲気に合わせてテンションが上がっているだけです。試合のプレーに集中しようとしても、席が遠かったり、観客のテンションの変動に気を取られて、うまく把握できない事が多かった。加えて、ビールを飲んですっかりいい気分になっているわけで、試合なんてどうでもよかったんでしょうね。
友人にはアイドルとかアニメのファンも多く、AKB48、ももクロ、アイドルマスター、ラブライブと、二次元・三次元問わず、アイドルの名前が会話に飛び交っていました。もしかしたら、そういうのがきっかけでふと、アイドルの誰かを好きになってファンになるとか、そういう展開もあったのかもしれません。
が、残念ながら(?)私は当時「80年代アメリカのパンクロックカルチャー」に夢中でして、「アイマス聴けよ~」とかいう友達に、「いや、それよりBADBRAINSってやべーから聴いてみ、ぶっ飛ぶから」とCDを貸したら、数日後、酢でも口に含んでいるかのような何とも言えない表情で返却されたりしました。
その後社会に出ると、さらなる「応援する文化」の濃い人たちと出会いました。休日返上で全国を回ってアイドルのライブに行ったりする人もいた。何度か飲みに行って話をしたんですが、「毎週毎週大変じゃないですか。けっこう体力とか消耗するでしょう?」と聞いたところ、じっとこちらを見据え、「そんなことはない」と返されました。さらに、
「消耗するのではなくて、与えられてるの。応援するのは、消耗するためじゃない。向こうからとてもたくさんのものを与えられているから、そのお返しなんだ。そして、向こうはもっと多くのものを僕らに与えてくれるわけ。その繰り返しなの。消耗なんてしないよ~。金だけだよ、消耗するのは」と言われ、なるほどそうだったのかぁと、私はひれ伏したいような気持ちになりました。さらには、
「僕が見てると、君がいったい何が楽しくて生きてるのか正直わかんないわけ。何かを応援する以上に、楽しい事ってないと思うけど。生きてて本当にしんどかったりとか、そういう時があったら、何でもいいから一生懸命応援するものがあるといいよ。僕は少なくとも、それで本当に助かったと思ってる」と、そう言うのでした。
それからしばらくたって今や無職です。こないだまで甲子園の試合をやっていて、なんとなく観てました。観ていてだんだん、選手よりも、猛暑の中で応援している生徒さんとかチアリーダーの人たちを応援したい気分になりました。いや、応援というよりは「大変だなぁ」と労う気持ちが強い。労うことと、応援することは全然違うものです。立場がちょっとずれているような気がする。労うって、なんか偉そうな感じがします。
これから、私の人生どうなっていくか分かりませんが、「生きてて本当にしんどかったら、何でもいいから一生懸命応援するものがあるといい」という言葉はよく思い出します。そういうものが果たして見つかるだろうかと、意識の底の方でずっと考え続けているような気もする。