口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

幸せ体質になるには。

 

前野ウルド浩太郎さんの『バッタを倒しにアフリカへ』を読んだ。非常に面白かった。

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 

 

内容をとても簡単に説明すると「前野さんがアフリカのモーリタニアへバッタの研究に行く話」だ。前野さんは子供の時にファーブル博士に憧れるほど虫が好きになり、特にバッタを愛するようになった。その深い愛情は持続していき、大学でバッタの研究をする道に進まれ、ついにアフリカの地でフィールドワークを行うことになった。

 

しかし、アフリカは厳しい。モーリタニアは砂漠化しており、日中は暑く夜間は冷える。現地の人たちとの言葉や文化の食い違いもある。実験の失敗などによる研究費の浪費や、同世代の日本の研究者がどんどん出世していくプレッシャーにも苛まれる。さらには研究対象のバッタがそもそも見つからないなどの致命的な誤算もあり、とにかく前野さんは苦悩する。

 

そんな日々であっても、前野さんは虫への愛情を欠かさない。私は虫を見るだけで幸せになれる「幸せ体質」なのだと、本の中で仰っている。そういえば「幸せ体質」って言葉、いつごろから使われ始めたんだろう。それはいいとして「幸せ体質」とは、どんな状況でも救いを見出せる強い体質なのだなぁと感じられた。

 

「幸せ性質」じゃなくて「幸せ体質」。つまり身体感覚として「幸せ」を捉えている。「体質」であるならば、本人次第で変化させることもできるはずだ。筋肉を付けたいなと思ったら筋トレをしたり、脂肪を落としたいなと思ったら有酸素運動をするのと同じように、「感情の体質」もトレーニング次第で変貌を遂げられるかもしれない。

 

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「幸せ体質」となるための条件は、まず自分が何が好きかを知ることだろう。前野さんはどんな状況でも「バッタが好きであること」に揺るぎはない。つまり、前野さんにとってバッタとは「信条(ドグマ)」だ。好意以外の態度を極力寄せ付けない、純粋に信じられる幸福の塊のようなもの。これがあると人間は強いなぁと思う。

 

誰でもこんな存在に出会えるわけではない。これには運命とか才能も関わってくるわけで、平等な機会とは程遠い。だとすれば、そこまで純粋な信仰みたいなものでなくても、生活の中で自分の好きなものをなるべく多く見つけることで、対応できるのではないか。質より量作戦である。

 

私は天気がいいのが好きなので、朝起きて青空ならとりあえず幸せだと感じる。植物も好きなので、その季節らしい花が咲いていたりすると嬉しい。読書も好きなので、何があっても本を開けばとりあえず楽しめる。バイクに乗るのも好きで、走っている間は悩みは消える。

 

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 日常生活の中で、自分にとって幸せだと感じられる要素が、「精神を支える柱」となっているような感覚で捉えるといいのかもしれない。そして、柱の上には崩れやすい精神が乗っかっているわけだ。こいつはちょっとした台風みたいなのが来ると、一部が吹き飛んだり、最悪、全部が崩れたりもする。

 

それでも柱は残っている。だからこそ、柱を支えにしてもう一度精神を再建できるはずだ。この時、残っている柱の数が多ければ多いほど、再建は楽になる。自分の好きな要素の数だけこの柱が増えていくのなら、理想的だと思える。

 

この「精神を支える柱」を増やす行動こそ、「幸せ体質」となるためのトレーニングだと私は思う。それには地道に自分が好きになれそうなものを探したり、見つけたりするしかないだろう。あと、楽しそうに何かをしている人といっしょにくっ付いていくと、案外、自分も楽しめたりする経験も多い。自分だけでなく、周りの人にとっての楽しい要素を観察するのは勉強になる。好きなものを見つける行為は、まさに研究のようなものだと感じる。