口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

家事と幸福。

とんどの家事をやっている。ゴミ出し、洗濯、掃除、回覧板を隣の家に回す、雑草を抜く、電球を交換する、米を研ぐ、Amazonからの注文品を受け取る、トイレットペーパーを交換する、シャンプーを詰め替える、牛乳パックを切って開いておく、空き缶を潰しておく、テーブルクロスをハイターにつけておく、等々。

 

夕方、味噌汁とおかずを一品くらい作っている最中に母親が仕事から帰ってくる。母親と家事をバトンタッチする時に、とても解放感がある。そのあとはいつも本を読んだり、ブログを書いたり、ネット空間を漂ったりして過ごすわけだ。

 

家事をやると、主婦や主夫の大変さは、身をもってわかる。例えば「掃除」ひとつにしても、その中に細かい雑事がいくつも含まれている。クイックルワイパーのシートを取り換えるとか、掃除機のフィルター交換をするとか、空気の入れ替えのために窓を開けるとか、その実体は複雑だ。

 

家事に慣れるというのは、そういった複雑な工程を含むいくつもの仕事を、一日の生活の流れの中で、完了時間なども計算に入れながらこなすということに他ならない。こうやって文字するとなんだか凄くプロフェッショナルな感じ。なにげに私って凄い事をしているんだなぁ。自分で自分を褒めたいと思います。

 

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私が家事を手伝うようになったのは小学生のとき。朝のゴミ出しと、風呂掃除を任されていた。風呂掃除に関しては、「偉いねぇ~」と祖母から褒められることが嬉しくて、泡だらけになりながら得意になってやっていた。いま考えると、祖母は褒めることで、私が仕事に対して自分の重要性を引き出せるように促したのだと思う。祖母は天才だったのか……。

 

その後、「お手伝い」じゃなくて「家事」であると、しっかり意識するようになったのが、大学生活に入ってひとり暮らしを始めてからだ。自分ひとりになって、「生活」というものが、何もせずに漫然とただ過ごせるものではないという、重い事実にようやく気付かされることになる。そこからが悪戦苦闘だった。洗濯やら自炊やらと、学業との両立と、さらには若さ特有の狂気(!)。この三すくみのバランス調整で、毎日死にそうだったが、なんとか生きた。

 

そのおかげで、最低限の「生活の軸」が築かれたと思う。これは何度も前に書いているけれど、人間は時間を与えられても、その中で上手く泳がない限り、溺れてしまう。溺れないためには、時間の中で手綱を握らなければならない。特に男性で多いと思うけど、その手綱となっているのが仕事であるために、これを辞めたとたん、手綱を切られたように溺れる人がいる。

 

star-watch0705.hatenablog.com

だからこそ、家事に目を向けるべきだ。なにが無くとも、日常生活上での仕事があることで、時間に溺れなくて済む。家事を伴う日常というのも、責任と解放が連続したもので、時々その果てしなさが途方もなく感じられる。しかし、ヘタにそこから脱出して虚無に迷い込むよりは良い状態かと思う。今の季節、外で風に吹かれながら、布団たたきで座布団なんかを叩いていると、突然、得も言われぬ幸福感が溢れてくるときもありますよ。