口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

紅葉に名所なし。

今週のお題「秋の空気」 

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……ということですが、今の時点だと近所の紅葉はまだまだ。山の上の方になってくると、だいぶ色づいてきている。夕方の県内ニュースなんかでも、一足先に早い紅葉を眺めに、車で山の上まで行ってきた人がインタビューされていた。感想はというと、「綺麗だった」「凄かった」「寒かった」と、大体この三拍子である。

 

いわゆる「紅葉の名所」へ出かけて行く人の気持ちは分かるといえばわかるのだけど、同時に、「紅葉なんて、待っていれば近所のどこでも普通に見れるのになぁ」と思う気持ちもある。ああ、そういえば、沖縄では紅葉ってあるんだろうか。調べてみると、寒暖差による紅葉ではないけれど、葉っぱが秋になると色づく植物があるそうだ。

 

www.okinawa-magazine.com

 

話を戻すと、個人的には「紅葉の名所は存在しない」と思う。もちろん、北海道の大雪山公園とか、京都の紅葉は素晴らしいと感じるけど、紅葉自体は、どこででも見れる普通の自然現象だからだ。

 

空間の雄大な広がりや、ある特定の場所の風情が、紅葉というものを特別に引き立たせることは認める。そういった場所は、紅葉というより、四季そのものが素晴らしく感じられる場所なのだろう。だから人は「名所」と呼ぶのだろうけど、そういう場所に立つと、風景というのは「面」で捉える場合が多くなる。

 

風景画を眺めているのと同じような感じだ。安全な位置で、一定の距離を保ち、美術館で絵を眺めているのに近い感覚になる。誰も独占できない。勝手に柵を乗り越えて触ったりもできない。行動がどうしても制限されてしまうので、納得するには完全に行き届かない不満感が、どうしてもある。しかも、大事な大事なお金を払うことになる。

 

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 一方、名所でもなんでもない、近所の木々は「個」で捉えることができる。自分の家の庭、近所の公園、神社の境内などに生えている木は、近づいて触れることもできるわけで、距離が近い。名所といわれる場所では手の届かない満足感が、案外、近所で満たせることの方が多い。

 

「個」で捉えるというのは、紅葉に関しても有効な鑑賞法だ。自分の家の庭の木が紅葉したので、近づいてじっと眺める。すると視界は一面、紅葉で満たされる。樹々との相対距離を縮めるだけでも、紅葉は楽しめるわけだ。

 

「名所」といわれるようなパノラマで風景を捉える場所であっても、結局は視界に入る要素の多さを重視しているが、それは遠くから眺めて得られるとは限らず、近づくことで、得られる場合もある。よく、「今年の紅葉は何だかイマイチだったねぇ」みたいな世間話を聞くことがあるけど、それは距離をとって眺めているから心に響かなかったのだ。どこにでも一本ぐらいは見事に紅葉した木がある。そこに近づいて行って、心ゆくまで眺めてみるのはどうだろうか。

 

あと、紅葉を観るのにおススメの方法としては、自分のお気に入りの木を決めておくのがいい。公園とか神社の境内に、見事に紅葉する木があれば、それを自分の中で登録してしまって、自分のモノではないけれど自分のモノにしたつもりで接するといい。

 

そして春夏秋冬、それぞれの季節に眺めに行くわけだ。「モミちゃん、また来たよー」とか声をかけながら。「モミちゃんはいつも綺麗だねー」とか褒めると、ちゃんと綺麗な紅葉を見せてくれる。女性と同じです。木だって褒めればちゃんと綺麗になるんです。嘘じゃない。ほんとですよ~。