口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

我はちくわと共にある 前編

が「ちくわ」を意識しはじめたのは、小学生の時。給食に出るメニューに、毎回あらゆる形で混入しているちくわに興味を惹かれた。サラダ、おでん、シチュー、澄まし汁、けんちん汁などに、まったくためらいもなく入れられた輪切りのちくわに、心が弾んだわけでは全然ないけれど、「今日も入っている……ちくわが」と呟くたびに、この世にはどうしても逃れられない宿命のようなものがあることを、すでに勘づいていたのかもしれない。

 

小中学生と、肉体的・精神的な育ち盛りの年代をちくわと共に歩み、高校になると給食が無くなり、弁当を持って通うようになったが、ちくわとの縁はまるで切れない。毎日毎日、弁当箱を開くたび、ちくわがいた。時には穴にチーズを挿入され焼かれたちくわ。時にはカレー粉で黄色く染まったちくわ。ある時は油でこんがり揚げられたちくわ。ありとあらゆる責め苦を受けたちくわが、弁当のどこかしらに、いた。

 

金のある同級生は購買部でいつもパンを買っていた。それが当時、なにかあか抜けた行為に感じて羨ましかった。連中に比べて俺は今日もちくわを食っている。俺は日陰者だ。そんなことを友人に漏らすと、「これをみろ」と、目の前でおもむろに大きな錫色の弁当が開かれた。

 

そこの半分に押し固められた米飯、もう半分のスペースになんと無調理のまま二本のちくわが押し込まれていたのをみて、度肝を抜いた。友人はそれ以上一言も言わなかったが、俺はなんてつまらないことを恥じていたのだろうと感じ、また、毎朝ちくわを調理してくれる母親に感謝した。

 

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大学に進学すると、学生食堂にて女子を交えて朗らかに食事をしているグループをよそに、男ばかりで黙々と飯を食うという、実に大学生らしい生活に移行した。そこの食堂はメニューが豊富で、毎日通っても飽きないほどだった。が、いかんせん金が無く、大体頼むものといえば、うどんかラーメンと相場が決まっていた。

 

ある日、たまには違うのを頼むかと思い、一番安い定食を頼んだ。価格はたぶん280円くらいだった。出てきたものを見て度肝を抜いた。米飯。わかめの味噌汁。それはいいとして、メインは山盛りの千キャベツに添えられた、二本の小さな揚げたちくわだったのである。

 

不意を突かれて動揺した私は、食堂のおばさんに、「こ、こ、これ」と、言葉にならない訴えを起こした。それを眺めるおばさんの、(ははーん……)といったような、妙に茶目っ気のある、ちょっと意地悪な表情を忘れることができない。

 

おばさんは定食の載ったお盆を再度受け取ると、ちくわの上に、エビフライ定食の為のタルタルソースをたっぷりかけてくれたのである。無言でお盆を返して寄越したおばさんの顔には、(これでどうだ!!)といわんばかりの、自負心が溢れていた。タルタルソースのかかったちくわは確かに美味しかったが、なにか釈然としない気持ちが残った。(ちくわはどこから来たのか、ちくわは何者か、ちくわはどこへ行くのか)、ふとそんなことを考えてしまう、18歳の夏であった……つづく。

 

 

ちくわ チクワ 5本入

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