口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

我はちくわと共にある 後編

日が経ち、酒の味を覚え、洋楽にハマり、女の尻を追いかける、その辺にうじゃうじゃ溢れる猿のような輩のひとりと成り果てた私のQOL(クオリティオブライフ)は、いかにして安く酒を飲むか、という一点に集中していた。当時は酒の味なんて全く分からず、とにかく酔えればなんでも良いと、スーパーで98円くらいで売っている、アルコール度数8度くらいの薬臭い酒を習慣的に呑んで顔を赤らめていた。将来、タイムトラベルの技術が発達したら、真っ先にこの時代の自分をぼこぼこに殴りに行きたい。

 

酒を飲むときのつまみにこだわり出したのもこの時期からだ。始めはポテチなんかで飲んでいたが、腹が膨れてあんまり良くない。スーパーに行くとサラミだのカルパスだの、酒のつまみが売っていたが、学生の身分からすると高いし、ああいう塩辛いモノの旨味がいまいちよく分からなかった。

 

そこで目を付けたのが「ちくわ」だ。4本入りで128円くらいのちくわと、酒を一緒に買い、自転車の前かごに放り込んでアパートに戻ると、少し工夫をした。まず、4本のちくわのうち、一本はそのまま食べる。残りの三本はフライパンで表面に焼き目を入れておく。そして、しょうゆ味、塩コショウ味、カレー粉味と、一本ずつ別な味付けをして皿に並べるわけだ。この情熱があなたにお分かりになるだろうか。いま思い出したら情けなくて涙が出てきた。ああ、殴りに行きたい。

 

それからさらに月日が経ち、いつの間にか地元の中心街の一角で働くようになった私は、またしても「ちくわ」を意識する日常を送ることになる。当時の職場の数百メートル先に、地元の百貨店があった。昼飯時になると、そこの地下一階にあるフードコートでうどんを啜るなど、学生の時と変わらないような食生活を送っていた。

 

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ある時、たまには違うのを食べるかと、地下食品売り場をうろうろしていると、鮮魚売り場の前でランチタイムに出す弁当が並べてあった。米飯の上にほぐした鮭がのっていて、さらにイクラが適度にまぶされているという鮮やかな弁当で、なんと350円と安い。ためしに買って食べてみると、物凄く美味い。それから毎日その弁当を買って舌鼓を打っていたのだが、だんだんと評判を呼んだためか、こっちが行ったときには全部売れ切れていたりするようになった。

 

仕方なく他の弁当を探すと、練りものコーナーの横にも弁当が並べてあった。「ちくわ弁当」である。値段は350円と鮭弁当と同じ。ただ、内容は異様なモノであった。長いちくわを縦に割って素揚げしたものが、容器をはみ出さんばかりに横断しており、ちくわの下敷きになるように、ナポリタンスパゲティが盛られているのである。しかも、角の方に沢庵が添えられているなど、コンセプトが全く不明な弁当であった。

 

それをもってフードコートの席に座り、ふと隣を見ると、きちんとスーツを着た初老の紳士が、例の鮭弁当を頬張っていた。そればかりか、「これはうまい弁当だ」と呟いた後、カバンをごそごそし始めた思ったら、なんと、アサヒスーパードライのロング缶を取り出して、一杯やり始めたのである。完全に負けたと思った。惨めだった。その後、個人的にちくわ弁当を「敗者の弁当」と名付けることにした。ちくわとしては、とんだとばっちりである。ちくわが何に負けたというんだ。

 

それから月日が経ち、今は家でごろごろしている。実に不思議なことである。数日前、冷蔵庫をのぞいたら、ちくわがあった。ちょうど白菜もあったし、夕食の一品を作ることにした。現在の私にとって、ちくわとは何だろうか。依存の対象でもないし、敗北の象徴でもない、はっきりと表現できないけれど、そこにあれば悪い気はしないし、食材としてとても信頼できる、ただの練り物である。