口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

路地裏が好きです。

の季節は散歩をするのに最高なので、とにかくヒマさえあれば歩いている。いや逆だ。身分的に一日中ヒマなので、歩こうと思えば一日中歩いてしまえる。それをほどほどに制止するために、ブログや筋トレ、読書、家事といったタスクを生活の中に散りばめているわけだ。

 

そうでなければ、歩こう歩こう私は元気歩くの大好きどんどん行こう坂道トンネルくさっぱら一本橋にでこぼこ砂利道クモの巣くぐって下り道などと強迫観念に駆られてどこまでもどこまでも歩いて行ってしまうだろう。彼岸の果てまで。怖ろしいことである。

 

強迫観念といえば、もうひとつある。私は路地がやたら好きな人間だ。広くて洒落た店の並ぶまっすぐな通りの脇に、薄暗く陰った小道があると、間違いなくそちらに入り込んでいく。そして、明るい場所ではお目にかからない業態の店舗を眺めながら、路地をどんどん進んでいく。

 

左右にはさらに小道が別れ、その奥では油と湿気でてらてらと黒光りしている陰気な中華料理屋、陰気な接骨院、陰気な印鑑屋、陰気な法律事務所、陰気なスナック等、昭和から時を一歩も進める気の無い店舗が並んでいる。時おり、どこからかへたくそなウクレレの音色が響く。すると、自分の中で多幸感ともいえるような、雑味の入り混じった複雑な幸福感が湧いてきて、どうしようもないのである。

 

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こういう、路地を徘徊する趣味というか習性は、子供のころからその片鱗があった。とにかく細い道を通るのが好きで、自転車に乗って、家の近所や街の中の路地を制覇していた。広い道を、楽しいと感じたことがあまりない。広い道には嘘があると、なんとなく感じるからだ。

 

裏道というのは、その点では正直で、全てがありありと見えるのが楽しい。表を綺麗にしていても、裏では雑草が生えまくっているとか、ところどころ錆びているとか、油で汚れているとか、そういう隙が見える。それを確認して、ようやく合点するというか、とにかく裏に回ってみなければ、風景から信用を得ることができない。

 

前回の記事で、「不潔な温泉は嫌だ、清潔な方がいい」ということを書いている。それなのに、路地裏とかに回って汚いものを見るのが好きって、矛盾してないですかといわれそうだけど、実際に肌に触れたりする「不潔感」とは、別だ。

 

 

star-watch0705.hatenablog.com

 

それに決して、汚れているから即嫌いだということではない。汚れるまでの過程には色々ある。どんなに清潔を保とうとしても、何十年も経てば、その経年が汚れとして出てしまう。また、そもそも清潔を保とうという意識の無さが正直に出ている場所もある。

 

汚れとは、そこに住む人の考え方や、地域性や、環境によって現れる自然なものだ。つまり、汚れから「自然」を発見しているということになる。その自然が表から見て分からないので、裏に回って確認し、安心することが、路地に迷い込む行為の本質だといえるかもしれない。