口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

図書館で解毒できます。

は図書館が好きで週二回くらい行くのだけど、図書館というと、「無職と高齢者のたまり場だ」などと、ネガティブな印象を持つ人もいるようだ。実感として、ある程度は合っていると思うけど、それは図書館のある側面でしかない。実際に図書館の利用者として恩恵を常々受けている人ならば、もっと多彩な評価基準を持っているものだろう。

 

総合的な実態からひとつの側面だけが剥離して、ネガティブな情報としてどこからか流れてくる。何かを揶揄したいとか、誹謗中傷したいという希望の共有に、インスタントに応えてくれるお決まりのフレーズがぐるぐると巡っている。ネットはまさにそんな場所だ、というと、「図書館は無職と高齢者のたまり場だ」というのとまるで変わらない。ネットにはそういう側面があると、意識的に抑えておいた方が身のためになるだろう。

 

とはいえ、毒が多いと思う。世の中毒まみれだと感じることがある。放っておくと、自分の中に毒が溜まって、自分の代わりにそいつが口を開いて勝手にぺらぺら話し始めるような感じ。どこかで毒抜きをしなければならない。エモい表現をすれば、自分が自分であるために、毒からまぬがれる場所を知っておくことが必要だと感じる。私にとって「図書館」はそのひとつ。かけがえのない環境だ。

 

まず、棚に並んだ大量の本の背表紙を眺めているだけでホッとする。普通に考えると、あまりにも大量の選択肢があると疲労感がこみあげてくる気がするが、図書館は違う。天井に届きそうな巨大な棚に収まる大量の書物を前にしても、そんな感情は皆無で、近い感覚としては、とても大きく立派な木を眺めているようだ。

 

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こういった感情がなぜ生まれるかというと、目の前に展開しているものが、自分の為に用意されたものではないし、自分のことを当てにもしていない、ということからきているのだと思う。図書館に並ぶ本は、特定の選択肢とは基本的に無縁だ。棚によってある程度ジャンルは絞られていたとしても、出版された時系列も、作者も、内容もまるでバラバラで、指向性らしいものが無い。

 

どの本もこちらに媚びを売っている気配もない。レコメンド機能からも無縁の、ただそこに並んでいる本。この感覚に清々しい思いがする。そして、「ただ並んでいる」という事が、すでに貴重な時代になってきていることを実感させられもする。

 

結局、私が感じている「毒」というのは、「いつのまにか何らかの思惑の影響を受けている」ということ。そういったものを感じざるを得ない日常の中でたまったものを、図書館というどこにでもある場所で解毒することができるという感覚だ。

 

もちろん本を開けば、作者や時代背景や内容による影響を受けるわけで、それによって「毒」を喰らうこともあるだろうが、それは、森の中で知らないキノコを採って食べたようなもの。「知らないで食べた」という、この、「知らないで」という感覚が好きだ。

 

すでに知っていて、手を伸ばすという事に慣れた感覚は、はじめから何らかの「興」を削がれている。自分にとって、定期的に図書館に行って、知らない本を勘に頼って借りて読むという事を繰り返すのは、この「興」を補充するという意義もあると思う。