口から出まかせ日記【表】

家にあるホッカイロすべて有効期限切れ。

選択の自由があるのに、なぜ「許せない」というのか。

近も色々ありますが、芸能人が薬物事件で逮捕されるのは、インパクトがありますね。ただ逮捕すれば済むわけでもなく、出演作品の上映が見送られたり、映像を差し替える必要があったりと、複雑な事情が絡んでくる。

 

それに対する一般人の意見も当然分かれます。「犯罪者が出てる映像は許せないから流すのはやめろ」とか、「映像に罪があるわけじゃないんだから流せばいいじゃん」とか、細かい理由はともかく、だいたい大きく二分される感じです。

 

私はどちらかといえば「流せばいい」と思うほうです。しかしそれは、「薬物の使用」だとか、基本的にその本人だけの問題になっている場合ですが、「殺人」やら「強姦」といった場合、被害者に配慮する必要があり、上映中止となるのも納得できます。

 

ただ、それ以前に、私たちには自由な選択権が与えられているわけです。普段、その映像を観るか観ないかも、自分の裁量で決めている。なら、わざわざ「その映像を流すな」と声をあげる前に、チャンネルを切り替えるなりすれば、簡単に解決できます。

 

ちょっと話が変わるんですが、最近、『デス・ストランディング』というゲームにハマっています。ゲームの主な内容は「荷物を運ぶこと」です。大量の荷物を壊れないよう慎重に運ぶのが目的です。ゲームの世界観は複雑で、ひとことでは言い表せませんが、簡単に言えば「世の中が大変になってしまい、困っている人がいるので物を運ぶ」のです。

 

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敵を倒して爽快感を得るゲームとはまるで違います。得られるのは「仕事」としての満足感です。自分で物を配達する道筋を決めて、てくてく歩いたり、時には崖に登ったりして目的地に向かうのです。そして、人から感謝されることで満足感を得る。ゲームでありながら仕事の感覚もあるのは、稀有な体験です。

 

評価は分かれています。私みたいに熱中する人間もいれば、「意味不明」とまで評価する人もいる。よくあるのは、「期待して買ってみたけど、ダメだった」という評価です。その人にとって合わないのは、まあ、世の中そういう事もあるよというしかない。ただ、それで済む人ばかりではなく、「自分に合わないゲームを買わせたのが許せない」ようで、恨みつらみを晴らすかのような酷評をする人もいる。

 

もしその人が目の前にいたら、私はこう言います。「でも、あなたはそのゲームを選んで買ったんでしょう」と。確かにやってみないと分からないことは多い。ただ、やる前に色々調べたり、自分にとって合うか合わないかを考える時間はあります。話題になっているからとか、他の友達が買ったからという評判だけで買えば、自分の評価とのニアミスが生まれやすいのは当然です。

 

ゲームというのはたくさんの選択肢があります。今年は新作が豊富で目移りするような感じです。なにかが自分にとってつまらなかったら、別なものを選べば事たりることであり、声を荒げるというか、意識を荒げる必要はあるのでしょうか。そのゲーム一本だけで完全な満足を得たいのでしょうか。それとも、自分の選んだものはすべて満足できるものでないといけないのでしょうか。