口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

挨拶は麻薬。

拶してますか。私は20代に入るくらいまで、ぜんぜんできない人間でした。挨拶の真意がよく分からなかったんですよ。もちろんそれまでに学校で、「おたがい、挨拶をすると気持ちがいいぞ」なんて教えられていたわけですが、「そんな言うほど気持ちよくなるかぁ?」と、疑心暗鬼だったわけです。

 

人が他人を確認する方法に、挨拶を挟む必要は本当ならありません。お互いの視線で、ああ、人がいるなと確認できればいい。その人が自分と関わりのない人なら尚更です。知り合いなら、まあ、せいぜい会釈をしたり、「よぉ」なんて手をあげれば済むわけです。

 

が、そういうわけにいかないのが人間社会であるというのを意識するのが、私は大分遅かったんだなぁと思わざるを得ません。人間社会はありとあらゆる儀礼によって成り立っている。儀礼と共にこの世に生を受け、儀礼と共にこの世を去る。人よっては、その存在自体が儀礼そのものだったりもする。そういう場所なのです。

 

そして、儀礼の中で比較的ライトな部類に入るのが「挨拶」ですが、これが満足にできなかったせいで、私はたくさん恥をかきました。他人が酢を飲んだような顔をするのをたくさん見てきました。具体的に書くと一冊の書物になってしまうので、ここには書きませんが、恥をかいたおかげで、いまだに怪しいものの、なんとか挨拶できるようになりました。どうもありがとうございました(終)。

 

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嘘です、終わりません。私が近所の人や、初対面の人に挨拶ができるようになると、逆に、挨拶をしても返さない人間にイラっとするようになりました。かつてと立場が反対になったわけですね。相手が挨拶をしないと気分が悪くなるし、逆に爽やかな挨拶を返されると、とても気分が晴れやかになる。

 

この感覚、なにかに似ているなぁと思ったんですが、芸能人が薬物関連で逮捕されたりするのを見て、「ああ、麻薬と同じだ」と感じました。それがあると「気分が良い」、それがないと「気分が悪い」というような。

 

もちろん、挨拶を麻薬と同一視するのはやや失礼です。挨拶するからといって健康被害があるわけでもなく、反社会組織とつながるわけでもない。ただ、意識下に「気分の良し悪し」を左右するスイッチを組み込んでいるのは確かです。

 

他の方のブログを眺めると、「人と挨拶をするのが怖い」という声も聞きます。それは、普段なにげなく挨拶のできる人間が、そういう世界観に加担しているのを気づいておくべきです。自分たちが「気持ちが良い」と思っていることが、他の人も同様に「気持ちが良い」わけではない。恐怖すら感じる人もいる。それなのに強制するというのなら、麻薬を強制するのと変わりません。

 

だから私も、挨拶して返されなくても、「そういう人もいる」と納得するようにしています。あくまで、挨拶は自己満足の世界だと思うようになりました。もちろん挨拶を返されるに越したことはないですが、そうでなかったとしても、些細なことで一喜一憂しないように意識したい。

 

★★★

 

あと挨拶に関して、面白い本があるので紹介させてもらいます。

 

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

 

 

こちらの本はちょっと前に、著者の借金玉さん共々話題を呼びました。本には社会生活を送るにあたり、必須の「儀礼」に関する内容も盛り込まれていますが、その中に挨拶の方法も書かれている。会社組織では、こちらが挨拶をしても、返してこない相手もいる。かといって、その人に挨拶しないのはマズいんですね。なぜなら相手は、自分が挨拶をしなくても相手もしなくていいとは、思っていないからです。

 

得になるならタヌキの置物にでも挨拶すればいいじゃないですか。会社の不愉快な置物にも挨拶しましょう。

p.125より引用)

 

 という意識で挨拶をするのがいいと書いてあるんですが、「置物にでも挨拶する」感覚って面白いなと。これは挨拶に依存して一喜一憂しなくて済むトレーニングになりそうです。挨拶が返ってこないと不機嫌になる人、また挨拶をするのが怖いと思う人にとっても、まず「挨拶」という形から練習するのはいいかもしれません。

 

私も毎朝なにかに挨拶しようかな。仏壇とかサボテンに挨拶しましょうか。仏壇から「おはよう」って返ってきたら明らかにホラーです。サボテンが「おはようございます」って呟いたら、思わず抱きしめて全身血まみれでにっこりしちゃいますね(≧▽≦)