口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

大盛りを卒業したい。

ょっと前に、肉があんまり食べられなくなったことを書きました。

 

star-watch0705.hatenablog.com

 

記事の中でも書いてますが、肉が食べれないというより、そもそも、食べ盛りが終わったんだと思います。今までが食べ過ぎだったんでしょう。これからは素直に体の声を聞いて、適切な食事量を心がけていこうと考えているわけです。

 

それにはまず、「大盛り」をやめなきゃな~と。私はつい大盛りを頼んでしまうクセがあるんです。ラーメンを頼めば大盛りを頼み、牛丼を頼めば大盛りを頼む。ライスが大盛り無料なら、躊躇なく大盛りを頼む。この「大盛り信仰」をなんとかしないといけない。

 

外食で大盛りを頼むようになったのは中学生ぐらい。ちょうど食べ盛りが始まったころですかね。当時は、食べても食べても、食べたものがどこかに空間転移して消えていくみたいな、ブラックホール的な食欲がありました。回転寿司に行くと15皿くらいは余裕で食べていたと思います。「いい加減にしろバカ」と親に言われてようやく諦める感じ。

 

そのくせ、太らなかったのは不思議だなぁと思うんですが、たぶん勉強やら部活やらで、食べた分のエネルギーは消費されてたんじゃないでしょうか。だいたい、まだ子供だから何をするにも、いちいち走ったり、騒いだりしていたわけで、無駄なエネルギー消費も相当あったわけです。子供の生活っていうのは馬力はあるけど燃費を食う車みたいじゃないですか(?)。

 

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それからはずっと、外で何かを食べる時は大盛りだし、家での食事量も大盛りを基準にしていたわけです。この大盛りというのは、けっして自分の空腹感から推算した量を摂取しているのではない。「なんとなく」大盛りで食べてしまうのです。こうして文章にすると、けっこうヤバいことをしていたなぁと反省したい気分になる。このままいったら、それこそ糖尿病とか、怖ろしいことになりそうですし。

 

つい「大盛り」で頼んでしまう心理は何だろうと考えてみると、ある種の意地じゃないかなぁと思うんです。「男なら大盛りに決まってるだろ」みたいな。食べることは、つまり、挑むことでもあり、食べきったら勝利であると。大きな丼の中のものが、自分の胃に収まる。そんな、制覇をするカタルシスみたいなものがどうしてもあって、大盛りで頼んでしまうんじゃないかと思うんです。

 

だから、大食いとか早食い専用の特別メニューを出す店があって、それに挑む人がいる気持ちも分かります。食欲を競技化するのは、感覚的に容易なんでしょう。でも、厳しい事を言わせてもらうと、それは自分の生体反応で遊んでいる部分があるわけですよね。

 

空腹は本来なら切実な、生きるためのシグナルであるはずだけど、食べ物にありつくことがあまりにも容易になったので、それを素直に捉えることができなくなっていると感じる。とりあえず、自分としては、空腹イコール大盛りみたいな単純な方程式を改めて、自分の体がどれだけの食事量を欲しているかを見極めていきたいですね。