口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

鬼のように付箋を本に貼る。

棚を整理していると、ハリネズミの如く付箋が突き立った文庫本が大量に出てきて驚きます。いやまあ、自分で貼ったわけなんで、驚くのはおかしいんですが。改めて冷静な目で見ると、異様な物体だなと思わざるを得ない。

 

本を読むときに付箋は欠かせません。気に入った文章とか場面描写があれば、すぐ貼ります。200ページくらいある本の180ページくらいに付箋が貼ってあったりする。すると、180ページ分の付箋の厚みが本に加わって、ページの先が鈍器のように硬くなっており、たぶんこれで人を殴ったら死ぬんじゃないか、くらいのカッチカチの物体に変貌しているのです。言ってることがお分かりになりますでしょうか。

 

自分が使っている付箋はシンプルで安い物です。文房具屋さんに行くと、お洒落な付箋がいっぱい売ってます。キャラクターものとか、付箋にメモを書き込めるものとか。ああいうのを眺めるのは好きなんですが、読書の役には立たないものがほとんど。私の場合はとにかく数が大事です。「戦いは数だよ兄貴!」の精神です。

こういうのが好きです。あと、張り付ける部分がフィルムになっている付箋がありますが、あれはちょっと粘着力が強すぎます。古本に張り付けたりすると、はがす際に紙の表面に跡が付いたり、下手をすると破れたりもするので、危ないです。接着面も紙のタイプは、そこまで接着力が強くないので、安心して貼れます。

 

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「本に付箋を貼ることで、なにか得るものがありますか」と誰かに聞かれたら、「付箋を貼ることで、その本が自分のモノになりますよ」と答えます。付箋を貼るのは、本の中にもう一冊の本を作ることに近い。付箋を貼ることで、本の内容を、自分の好みに合わせて再構築しているわけです。

 

当たり前ですが、その再構築した本を読み返すのは、初めてその本を読んだときより格段に速くなります。最低限、付箋を貼った場所だけ読めば済みますからね。かつて読んで心が動いたページを追うだけでいいなら、こんなに効率的な読み方はないです。

 

でも、これはこれで問題があります。細部に気を取られて全体の内容を把握しきれないままだったり、どこかで内容を勘違いしていたりとか。たまに付箋を無視して、もう一度最初から読んでみると、「ああ、こういう本だったのか」と改めて気づかされたりもします。

 

なので、付箋を貼ったから安心というわけでなく、「付箋を貼っていないページにも、まだ新しい観点を得られるところはないだろうか」と考えながら読む必要があります。個人的にはこれを「発掘作業」と呼んでいます。地面を掘れば掘るほどお宝が出てくるように、読みこめば読みこむほど、本からもお宝が出る。そしてまたページに付箋を貼り、異様な物体がまたひとつこの世に出来上がる、というわけなのです。

 

電子書籍にも付箋がありますが(電子付箋ですかね)、個人的には使用感があんまりよくないです。というか、電子書籍自体に個人の所有物という感覚が希薄なんですよね。ダウンロードコンテンツ自体に言える事かもしれないけど。あくまでブラウザ上で読んでいる感覚があり、「共有物」という感じが強い。大本はどこかが所有していて、どんなに読み込んでも、いまいち自分のモノではないという感覚が残る。

 

それに比べれば、鬼のように付箋が貼ってあり、破れていたり、コーヒーの染みが付いている自分の本は、まぎれもなく自分の所有物です。物質は変形するもので、その変形の仕方に自身が投影されているから、自分のモノだと感じるわけで、そうでないものに所有の感覚なんて果たして起きるだろうか、と思います。

 

月と六ペンス (岩波文庫)

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