口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

長い文章への挑み方。

書の冬ですね。「いやいや、それを言うなら読書の秋ですわ、このアホ」と言われそうですが、読書に一番向いているのはやっぱ冬ですよ。秋は気候が良いせいで、「食欲だ~」「運動だ~」と、欲望に伴い、行動もとっ散らかるから、読書に集中するには向いてません。寒くてどこにも行く気が起きない冬だからこそ、家で読書がはかどるわけです。

 

最近も色々読んでいますが、こないだ、古井由吉さんの本を初めて手に取りまして、読みごたえがありました。今は『鐘の渡り』という短編集を読んでいるんですが、人間の意識の混沌を文章にしたような印象。人間の日常は「今」にあるのではなく、「過去」にあるのでもない。それらがごちゃごちゃと入り交じったある種の幻想の中に生きている事を思い知らされるようです。古井さんの本はどんどん読んでいきたいと思います。

 

鐘の渡り

鐘の渡り

  • 作者:古井 由吉
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/02/28
  • メディア: 単行本
 

 

話は変わりますが、Amazonなんかで自分の読んだ本のレビューを眺めたりしていると、「内容は良かったけど、文章が長かった」なんて感想が寄せられていることがあります。「長くて途中であきらめた」なんて馬鹿正直なのもあったり。その人にとって文章が長かったというだけで、本の評価が低めに付けられていたりとか、よくあることです。

 

正直言って、その程度のレビューは役に立たないからやめて欲しいと感じます。「文章が長いから、なんなんですか」という感じ。単なる個人の感覚を書かれてもどうしようもない。「記述が冗長なので、もう少しシンプルにまとめて欲しかった」など、読後感を含んだ感想ならば、読んでいない人にもそれなりに想像が働くので、意味はあると思いますが。

 

長い文章=「悪文」と捉える人もいるかもしれません。「文章はシンプルで分かりやすく、そんなに長くない文章こそ優れているんだ」みたいな。一見、その人なりの価値観のようですが、それは自分の読みやすい文章しか読めない制限を設けているのと同じです。

 

   f:id:star-watch0705:20200206212324j:plain

 

正直なところ、長くて難解な文章が、シンプルでわかりやすい文章よりも常に優れているわけではないですし、難解な文章を読めば、必ずなにか得をするというわけでもないでしょう。ただ、読みやすい文章しか読まない人よりは、どんな文章でも読もうとする人の方が、日常的に触れる文章量は多くなるわけです。それは純粋に充実感にもつながるだろうし、中にはそれによって成果を得る人もいる。伝統的に、偉人の多くは多読です。

 

「そう言われてもねー、俺、長い文章読むの苦手なんだよなー」という人もいるでしょう。私も、終わりが見えないほど分厚い本を読むのは躊躇します。昔、旧約と新約聖書を読み通している時は眩暈がしましたよ。でも、人生においては時々、馬鹿みたいに分厚い本を読まなきゃならない時が一回くらいはあるわけです。

 

そんな時はどうすればいいかというと、簡単です。1日に1ページずつ読めばいいんです。本の読み方は、とにかく自分に甘くするのが一番ラク。自分が嫌にならないペースで読み続けることです。「文章が長い」と不満を漏らす人は、そもそも自分のペースが分かっていなかったのではないでしょうか。

 

ジョギングと同じです。まず1キロ走ってみて、それを続ける。次に2キロ走ってみて、それを続ける。次は3キロ走ってみる、という感じで、走行距離をステップアップしていく。読書量も、最初は見開き1ページがやっとでも、続けていけば10ページでも20ページでも読めるようになる。

 

分厚い本を読み通せたら、それより薄い本は難なく読めるようになります。一度くらい高い山に登ってみないと分からない事があるように、読書に関しても、一度なにかを読み通す経験から、その道が開けます。「あの本を読み通せたんだから、この本も読める」と、次へ挑戦していく心構えができる。それはもちろん、経験的に自分を知ることができたからです。そういう意味でも、長い文章に接するのは意義あることだと感じます。