口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

「さん」と呼ぶ人、呼ばない人。

学の話ができる友人が一人いて、たま~に会います。会うと、そりゃあ文学の話になるわけですが、「川崎長太郎、まだ読んでないの? なんで読まないの?」とか、「稲垣足穂のA感覚とV感覚ってのは、つまりこうこうこういうことで~」とか、しゃらくさい事ばかり言うのです。何かの本から聞きかじった事を、自分の考えたことのように話す人間なのですよ。「川崎長太郎を読まない奴はもぐりだ」みたいなのを読んで気に入り、唯一の話し相手である私にそれを話し、悦に浸っているようです。

 

ところで、とうに亡くなった文学者の名前を呼ぶときに、私はどうしても「さん」付けで呼んでしまいます。友人と話している時も、「吉本隆明さん」「埴谷雄高さん」「夏目漱石さん」と、いちいち「さん」を付けてしまう。文学者だけじゃなく、「高倉健さん」と、俳優の人なんかもそう呼びます。

 

友人からは、「なんで故人を「さん」付けするかな。亡くなった人はみんな平等な地位になってるわけだから、敬称なんていらないよ」と言われるんですが、どうも、「さん」をつけた方がしっくりくるんですよ、私の中では。そのくせ、「安倍公房が……」と呼び捨てにすることもあり、いい加減なんです。

 

別に自分の好き嫌いで敬称にするかどうか判断しているわけでもない。安倍公房は昔から好きです。だけど、「安倍公房さん」とか呼ぶのは、私の中ではしっくりこない。「安倍公房」と言い切ってしまった方が自然です。芥川龍之介はちょっと複雑で、「龍之介さん」と呼ぶ時と、「芥川龍之介」と呼ぶ2パターンあります。「芥川さん」とはまず言いません。それはどこの芥川さんでしょうか。

 

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イエス・キリストは「キリスト」と呼びますが、ブッダは「ブッダさん」と呼びます。うちは浄土真宗ですが、私は「親鸞さん」と呼びます。その方がしっくりきます。あ、野坂昭如は呼び捨てです。中島らもは、呼び捨ての時と「らもさん」と呼ぶ時がある。司馬遼太郎は「司馬さん」と呼びます。北大路魯山人は、そのまんま呼び捨てです。ドナルド・キーンは、「キーンさん」と呼びます。

 

森鴎外は呼び捨て。泉鏡花も呼び捨て。志賀直哉は「志賀さん」と呼ぶ。萩原朔太郎は呼び捨て。中原中也は呼び捨てですが、酒が入っていると「中也ちゃんはねえ~」とちゃん付けになる。宮沢賢治は呼び捨て。梶井基次郎は呼び捨て。山田風太郎も呼び捨て。小松左京は「左京さん」と呼ぶ。福永武彦は「福永武彦さん」と丁寧に呼ぶのがしっくりくる。

 

シェークスピアは呼び捨て。ドストエフスキーも呼び捨て。イワン・ツルゲーネフは「イワンさん」と呼ぶ。トルストイはそのまんま。エドガー・アラン・ポーは「ポーさん」と呼ぶ。フォークナーは呼び捨て。ヘミングウェイも呼び捨て。ウィリアム・バロウズは「バロウズおじさん」と愛称で呼ぶ。サリンジャーは呼び捨て。アレン・ギンズバーグは「ギンちゃん」とたまに呼ぶ。ジャック・ケルアックは呼び捨て。大江健三郎は「大江さん」と呼ぶ、というか、まだご存命ですし。

 

菅原文太は呼び捨て。大島渚は「大島監督」と呼ぶ。植木等は呼び捨て。勝新太郎は呼び捨て。市川雷蔵は「雷蔵さん」と呼ぶ。白土三平は呼び捨て。横山光輝も呼び捨て。つげ義春は「つげさん」と呼ぶ。つげさんもまだ生きてますね。安倍総理は「安倍さん」と呼びますが、小泉進次郎は呼び捨てです。いかがでしたでしょうか。

 

飢餓同盟 (新潮文庫)

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 ※安倍公房で一番好きな小説というと悩みますが、『飢餓同盟』かもしれないです。