口から出まかせ日記

頑張っています(いません)

普通の人が真の「陰キャ」か。

おお、今回で記事数がちょうど200になりますな。100記事達成した時よりペースが早い気がする。貯金も100万円から貯まるのが早いといいますが、ブログも同じでしょうか。100記事達成した時には、ご褒美のカレーを食べに行きましたが、今回は別にご褒美なんていらねえやって感じの平坦な気分です。外は雨だし、コロナウィルスも面倒だから、家の中でぬくぬくしながらクロワッサンでも食ったりして過ごすことにします。

 

star-watch0705.hatenablog.com

 

雨の日は心が落ち着くので、本を読んだりブログを眺めたりするのが捗りますね。特にブログは、天気が悪い日ほど、じっくり目を通せる感じがする。それは、ブログがある種の「鬱」な部分を持っていて、それを受け入れるコンディションとして、雨天で外に出れない自分の気持ちと通底するから、いつもより読みやすくなるのかもしれません。

 

それで、読むわけなんですが、ブログに限らずネット上のどこでもよく見かけるのが、「陽キャ」とか「陰キャ」という言葉。もう見ない日はないくらいですよね。10年くらい前にはもう使われてた気がします。「陽キャ」は陽気なキャラクター。「陰キャ」は陰気なキャラクターの略です。ネット上で何かを発信する人が、アピールポイントとして使う側面が強いと思います。

 

基本的な使い方は、自らをまず「陰キャ」と設定し、自分が陰キャである証明になるよう、肉付けをしていきます。これは多種多様で、人の目を見て話せないとか、自分から話しかけられないとか、とにかく陰気さを醸し出せる行動とか考えといったもの。これでキャラクターの地固めをします。

 

その地盤の上で、「陽キャ」と比較するわけです。「私は陰キャだから、陽キャの人みたいに○○できない」という感じ。それによって、自分は多少なり普通の幸福を逃しているというアピールをする。これが、「陰キャ」と自ら名乗る人の基本的なスタイルの一つではないかと、私は思います(異議あり!という方はコメントをください)。

 

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私はそのアピールの仕方を非難する気はありません。むしろ、ネット上で自分の居場所を作るのに最適な方法をその人なりに選んだのだと思うだけです。同時に、「陰キャ」といっても、実際は明るい人だなと感じるわけです。この場合の明るいというのは、「性格が明るい」の意味ではなく、スポットライトが当たるとか、コントラストがくっきりしているとか、「視認しやすい」という意味の明るさです。

 

キャラクターとしての明確さ。これが、ネット上の社交界で華々しくありたいなら必須であり、流儀であるように思えます。逆に、この流儀を身につけていない大多数の「普通の人」こそ、もしかしたら、「真の陰キャ」といえるかもしれません。

 

そもそも「陽キャ」というのも、大多数の人の中に混ざっている、キャラクターというよりは習慣性のようなものじゃないかと私は思っています。仲間とパーッと飲みに行ったり、河原でバーベキューをやったりとか、どこか陽性のある催しに参加できれば、個々人の性格はともあれ、全員が「陽キャ」と呼ばれるんじゃないでしょうか。

 

その上で、「陰キャ」の人が「陽キャ」と認める人の習慣性や趣味を挙げることで、「普通の人」という、ある種の巨大なブラックボックスの中から、「陽キャ的要素」が取り出される。そうでなければ、「陽キャ」の人もそこまで視認はされず、キャラクターとしても明確にならない気がするんですよね。だからある種、これは凄い仕事をしているなと、私は思います。うげ。長くなったのでこれで終わります。