口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

寺社めぐりは若いうちが華。

 

たしは寺社めぐりが趣味ですが、どんな人でも、お寺とか神社にグッとくることってあるんじゃないですか? 興味が続くかどうかは別として、誰にでもなんとなくお寺や神社が気になる時期があるような気がします。趣味といっても、私みたいに祀っている神様だとか、由緒なんかの把握をしないと気が済まない人間はほんの一部であり、なんとなく神社とかお寺に行くのが好き、という人が多数派じゃないかと。ああ、神社とかお寺に行って気分が良くなる人は、祝福されている証拠だと思うので、これからもどんどん巡ってください。

 

コロナウィルスのおかげで外に出るのも気軽じゃないですが、要は濃厚接触を避けた行動をとることを心掛けるのが大切かと。気晴らしに外に行くにしても、途中で人の集団や、密室に寄り付かないことを意識し、全ての行動が単独で済ませられるのなら、外出の基準には添えると思います。で、今のこんな状況でも悠々と楽しめる外出といえば、お寺とか神社に参拝することじゃないでしょうか。

 

もちろん、浅草寺みたいな有名な所は避けるべきでしょうが、近所の神社とか、山の中にあるお寺とか、人との接触がなくて一人きりで歩けるような場所なら最適ではないかと。私もこないだの土日は、人に一切接触しないで神仏に接触しようと思い、山の中にあるお寺とか神社を巡ってきました。

 

 

人はほとんど見かけず、悠々と散歩が出来ました。境内の桜を眺めたりしながら写真も撮りました。気になったのは、神社にある手水舎(手を洗うところ)に置いてある柄杓とか、社殿の前の鈴縄(チリンチリン鳴らすやつ)です。不特定多数の人の手が触れたものは、ちょっと遠慮して触らないようにしました。少々無礼ですが、柄杓で手を清める代わりに除菌スプレーで手を清め、賽銭をいれて鈴は鳴らさずにお参りしました。こんな時ですから神さまも分かってくれるでしょう。

 

 

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それと、神社やお寺を歩いていてつくづく思うのは、歳をとって足腰が弱ってきたら、こういう場所を歩くのは大変だよなぁということです。玉砂利を敷いた不安定な足元。一段一段が不ぞろいな苔むした石段。中にはエレベーターを完備したリッチなお寺さんなんかもありますが、多くの寺社はバリアフリーと無縁です。どこかで転んでケガをすることも十分あります。

 

10年ぐらい昔、神社の手前にある長い石段を登ろうとしたら、その手前にお爺さんが立っていました。お参りを済ませて石段を降りると、その人がまだ立っていて、「よくのぼったねぇ」と声を掛けられました。それから色々話をしたんですが、その人は若いころから神社や教会といった宗教施設を巡るのが好きだったようです。しかし歳を重ねるにつれ、そこに至るまでのアクセスが体力的に負担になってきて、さらには足が悪くなってしまいお参りしようもできず、石段の下までやってきて、ここで手を合わせたりするのがやっとだ、という話でした。

 

そして、「こういうところが好きなら、後悔しないように若いうちに目一杯巡りなさい。年取ってから来るのでは遅いよ。もう頼みごともロクに無いし」と言われました。それからも色々なところに行きましたが、確かにそうだなぁと思います。格式の高い寺社ほど、その道のりは遠くて厳しかったりします。そういった場所へ詣でるには、なるべく体に負担を持たない状態で行くのが最適でしょう。すると、寺社めぐりは若いうちが華なんじゃないか、と思うのです。

 

ということで今、巡れる体力のあるうちに、行けるところは行ってしまおうという気分です。これからだんだん年を取ってきて、歩くのが辛くなってきたら、近所の寺社が憩いの場所になる。そういう流れが自然に訪れる気がします。