口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

「不適応者のオンライン茶話会」に参加した感想です。

 

月からですが、鶴見済さん主催の「不適応者のオンライン茶話会」という催しに参加しています。

 

tsurumitext.seesaa.net

 

これは鶴見さんが、 東京の高円寺などで開催していた「不適応者の居場所」のオンライン版として企画されたものです。ここんところすっかり状況が変わってしまい、気軽に人が集まれる状況じゃないですからね。

 

そこで、最近すっかり有名になったZoomというオンラインミーティングソフト上で集合し、「駄弁る」ことはできないかという、私なんかからすると非常にナウい(死語)催しです。まぁともかく「乗るしかないこのビックウェーブに」という思いを強くしまして、参加を希望することにしました。

 

参加するにあたり興味があった事といえば2つ挙げられます。1つ目はZoomの使い心地。SkypeやDiscordは友人と使っていたので馴染みがありましたが、Zoomはよく分からない未知の世界なので、どんなものか試したかったのです。

 

2つ目はもちろん、「不適応者の居場所」をオンライン上に移すと、どんな感じになるのかを体験したかった。私が3回ほど参加した、リアルな場での「不適応者の居場所」のように、来る者を拒まぬゆる~い雰囲気を保ちながら、多人数でだらだらと気ままに話せるものなのか。期待と不安が同居していました。

 f:id:star-watch0705:20200504110604j:plain

 

で、いきなり感想をいわせてもらうと、まあ、最高でしたね(笑)。純粋に人との会話が目的ならば、この「オンライン茶話会」の方が場として洗練されているし、ラクでいいなと、個人的には感じます。何故そう思うかといえば、もちろんこれはミーティングソフトによる「補助」の恩恵を受けているからでしょう。

 

その補助の無い「現実の集まり」によくある光景を描写してみます。まず会場に着くと、人がたくさんわちゃわちゃしている。その中には知っている人もいれば、知らない人もいる。この場に正確に何人いるかよく分からないまま、とりあえず自分の席に座る。知っている人と挨拶をかわし、知らない人同士と自己紹介をするいつものパターンを繰り返す。

 

そのうち「この人の名前なんて言うんだっけ?」と覚えられなくなる。会場には新たにどんどん人が来て、自分のいるスペースがだんだん狭くなる。飲み物をこぼす。会場の電気が消える。何かが割れる。姿勢がずっと同じで辛くなる。会場が寒い、もしくは暑い。いったんこの場を離れて休みたいけれど、なかなかタイミングが切り出せずに消耗する。

 

まあ、だいたいこんな感じですよね。個人の把握能力や体力による支障があったり、多くの人が場を共にすることで意外なトラブルが起きたり、現実の集まりではとにかく色々起きますが、オンライン上ではある程度解決します。参加者はモニター上にニックネーム入りで整理され、誰が誰なのか把握しやすく、一体いま誰が話しているかも分かりやすいです。

 

また自分の部屋が会場ですから、室温は自分で調節すればよく、この姿勢ツラいな~と思えば寝っ転がればよく、休憩したければモニターカメラと音声をミュートにし、チャットに「休憩します」とでもメッセージを入れて休めばいい。自分の状態に合わせて融通の利く対処をしやすいのが、最大の魅力かもしれません。

 

f:id:star-watch0705:20200504195005j:plain

 

「不適応者のオンライン茶話会」には、これまで計3回参加しましたが、はじめから「最高」といえるものだったわけではありません。初回は雑談というより、参加者の自己報告だけで、通夜のように神妙な雰囲気のまま終わってしまいました。その後、ツイッター上で意見交換がされ、2回目以降はZoomの「ブレイクアウトルーム」という機能を利用し、「小部屋に移動して特定の話題で駄弁る」という、要はグループ分けをするようになりました。

 

これにより、鶴見さん自身もブログで書かれているのですが、リアルな場で駄弁っているような感覚を、私も感じることができ、非常に満足できました。

 

tsurumitext.seesaa.net

 

面白いのは、「自分の部屋にいること」が、話題を提供するきっかけになるんですよね。部屋のインテリアなどの話題に発展するし、「最近はこんなのを作ってますよ~」と、それを披露してくれる方もいて面白い。個人の趣味を覗き見する楽しさがあります。この奥行きって、リアルな場で、人だけを集めるとなかなか味わえないものだなぁと。「最近は家でこんなことをしてます」と話を聞くだけの場合と、その「こんなこと」を、実際にリアルタイムで観れるというのは、得られる感覚が違いますから。

 

お、だいぶ長くなってきたんでまとめていきます。三回目の時は二次会として、いま最高にナウい(死語)文化であるオンライン飲み会」にまで発展しました。画面上で参加者が飲んだり食べたりするのを眺めていると、なんだかほっこりできました。みんなでご飯を食べるのって、こういう疑似体験でも温かみを感じられます。

 

しかし、こういうのって、リアルな場で人の集まることの楽しさとか、大切さを知る経験があったからこそ、感じられるものでしょう。オンライン上でいくら便利な機能があるとしても、それが実際に人と会わなくてもいいと完全に納得する理由には、私の場合はならないです。逆に多少不便だったりするようなことが、心に刻まれていい思い出として残ることもある。私の中でも大切な思い出は、多少の不便と一緒になってますから。

 

こんなところです。現時点ではオンラインでの集いを楽しんでますが、平和になったら高円寺でもどこでもいいので集まって、美味しいヴィーガン料理(不適応者の居場所の名物です)と、お酒を楽しみながら駄弁りたいなぁと、つくづく思っています。おわり。

 

 ※一応、リアル「不適応者の居場所」の参考になればと、過去記事も貼っておきます。

 

star-watch0705.hatenablog.com

 

star-watch0705.hatenablog.com