五月に入ってから急に暑くなって、すっかりただの夏になってしまいまして、脳内では強制的にTUBEの名曲が流れるようになってしまいました。
シーズン・イン・ザ・サン チューブ Season in the sun TUBE (HD画質)
それで、とりあえずいそいそと始めたのが、「エアコンの掃除」と「衣替え」ですね。エアコンはフィルターを水洗いして、専用の洗浄スプレーをガーッと吹き付けてから乾かせばよく、難しい事は何も考えなくていいのでラク。問題は衣替えの方です。洋服ダンスの棚をがばっと外して、その中から今年着れそうな服と、捨てちゃう服を「査定」して選ぶわけですが、これが私の場合、やたら時間がかかるわけです。
こういうときに、「正直に自分の心に聞いて、好きだと感じたものだけ残しましょう」みたいなアドバイスをする人もいますけど、私はあんまりそういうのを信用してないんですよ。というのは、いま自分が好きなものだけ残したら、その残したものが将来ことごとく嫌いになったときどうすんだ、と考える人間だからです。
将来的な自分は他人になる可能性がある。好みだって移り変わっていることも考えられる。そういうことを念頭に、普段から捨てたり買ったりします。衣替えとなると、この感覚がもろに響いて、悩んで悩みぬくわけです。結局、穴が開いたりとか、よれよれだったりとか、ダメージが相当ひどいのはさすがに捨てるけど、それ以外は残して全部洗濯して干します。この暑さであっという間に乾いて、太陽の偉大さを思い知りましたよ。
あと、こういう衣替えの時期に、去年買ったはいいが、着るとイマイチだったような服にもう一度袖を通してみて、印象が変わることってありませんか。私はよくあります。鏡の前で「おー、いいじゃん、これ」となる。なんで去年はイマイチだなと感じたのかよく分かりません。まあ、ほんの一年くらいで人の好みも入れ替わるんでしょう。
時間が経つだけで、光の当たらなかった物が輝きを帯びる。これは実に不思議なもんでして、だからなかなか物が捨てられないんだよなーと。捨てたとしても、結局は捨てたものをまた買うことになるんだろうなという予感がいつもあるんです。というか、実際にそういうことは度々あって、服屋さんなんかで気に入って選んだ服も、よくよく考えると、昔買ったことのあるような代物だったりします。
トレンドが過ぎて、「もう着ないな」と捨てた服を、またトレンドが巡って買う、みたいなサイクルのドツボにハマる。そういうのは文化的、経済的には必要なのでしょうが、自分としてはなんかこう、釈然としないようなところがあるんですよね。
個人的には、物を捨てることに慣れるよりも、物を残すことで自分の変化が分かりやすくなり、それがウキウキするような楽しみにつながる方が大事かなと思います。特に服なんかそうなのかも。見向きもしなかった服をしばらくタンスの中で寝かせるだけで、自分好みに変わるというのは、「熟成」させてる感覚に近い気がする。これは面白いなぁと、自分の中で勝手に楽しんでます。