口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

歩くためのなにか。

 

月に入ってから、しばらくコンタクトを取っていなかった知人・友人から唐突に連絡が来たりします。なかには「ブログ読んでるよ~」などと、教えたわけでもないのに、何故か私のブログを読んでいる人もいて、嬉しいというよりは怪しさが漂い、なんかこれ裏があるんじゃないかみたいな、無駄に想像を逞しくしたりして過ごしております。

 

久しぶりに話すことは、「最近何してる?」とか「普段どうやって過ごしてる?」みたいな平和な内容です。会社が休みになり自宅待機していたり、元から休み続けている人が、自粛生活で暇を持て余し過ぎて何をしていいか分からず、駆け込み寺の如く話をしに来たようです。とはいえ、私だって別に大したことはしていません。ブログを書いたり、屁をこいたり、散歩したりするぐらいです。

 

そういう話をすると、人によってはその平凡さに驚愕するようで、「それだけで人生満足できるのかよ」みたいなことを言われます。いわゆる「飲む・打つ・買う」みたいな生活をずーっと送っていて、散歩なんて老人がやるもんだみたいな感覚を持っている友人からすると、何が楽しいのか分からないらしい。

 

ただ、分からないなりに興味があるようで、「最近太ってきたから散歩ぐらいしようかと思って」などと言いながら、そういう隠居的なコストのかからない生活の極意というか、楽しむコツみたいなのを、こちらから聞き出したいという思惑が感じられるんですよね。といっても、「どうやったら散歩を楽しめるか」みたいなのを、人に教えようとするとこれが難しいんですよ。

 

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そもそもなんで散歩をするのかというと、「外に行くとなにかがある」からです。なにも無かったら行きませんよね。ただ、この「なにかがある」というのは、人それぞれ感じ方が違うわけです。「花が綺麗に咲いている」とか「鳥の鳴き声が素晴らしい」とか、とにかく外にある「なにか」を感知して、それらを楽しめるからこそ、散歩する理由とか意味みたいなものを、その人の中で強く結びつけることができるんじゃないかと思います。

 

これが、ただ自分に関する事だけだと、散歩に限らずどんな習慣も、あんまり続かないんじゃないかと。「痩せるために散歩しよう」という理由だと、痩せたら散歩を一切しなくなるかもしれない。それよりも、本来の目的とは別の目的の方が強くなったときに、習慣は続きやすいと思うんです。

 

例えば、散歩コースに素敵な女性or素敵な男性を発見するとか、散歩の帰りにふと見つけた喫茶店の常連になるとか、「何かをしたついでに何かをする」のが強くなると、その前段階の「何か」もセットで続く。こう考えた方が自然かなと思うんです。あんまり良い言い方ではないですが、歩くための「餌」のようなものを持っているかどうかが、散歩を楽しめる秘訣でしょう。

 

というようなことを友人に話すと、「でもなぁ、パチンコ屋も雀荘もこのへんは全部閉まってるのよね」というのです。そう、今の状況だと、外に出たついでに何かをすることが出来ず、外に出るきっかけが掴めない人もいるんでしょうね。とりあえず「天気のいい日にとことん自然を愛でろ」と友人には諭しておきました。人生なにがあっても、自然を愛でることを習慣として結び付けておけば何とかなるんじゃないかと、根拠のない自信を持っております。