―おとうさん、今なにか、物凄い音がしましたよ
―あ
―凄い音がしましたって、言ってるんです
―全然聞こえない
―なにか轢いたりしてませんかね。あたし、心配で
―なんだってぇ、全然聞こえない
主人はひたすらに車を飛ばす。なにをそんなに、急ぐことがあろうか。それでも急いでしまうのは、どうしても急ぐという、そのどこか不遜な性質が、なぜか主人に沁みついてしまっているからだけど、どこでどう、そうなってしまったか。それとも、若いころからそもそもそうなのか。もしくは、車に乗ることで特別そうさせるのか。長いあいだ傍に居るのに、もうさっぱり分からないのが不思議なことだ。
半世紀連れ添っても分からない。ひとりの人の事も分からない。これが、おそらくもうそこまで長くない私の人生における、最大の学びとなるだろうか。こんな単純な事について、年月を得たとしても解決するものでは無いのかもしれないと、実はもう数十年前にすでに予感はしていたけれど、その予感はここにいたって毎日の日課になっている。これは怠惰だろうか。私はこの半世紀、怠けたつもりは一切ないが。
外の景色は単調そのものだ。バイパス道路沿いの店舗の並び。紳士服屋を過ぎるとパチンコ屋があり、回転寿司屋があり、ホームセンターがあり、ドラッグストアがあり、またパチンコ屋があるという。これもまた、どうしてこうなるのか、私にはさっぱり分からない。人間は自然になんてまるで近くないという見本を、まざまざと見せられているようではある。雑に主人がブレーキを掛けたので、がくりがくりと体が何度も揺れた。
―おい。見てみろや
―はい
―隣の車よ。給油口が開いておる
―あらあ、ほんとそうですね
―乗ってるのはジジイだよ
あんたもでしょうがと言いたくなったが、そんなことより、これを相手にどうにか伝えられないかと思う。ガラス越しに軽く手を振ったり、指を差したりしてみたが、どうにも隣の車との角度が悪くて、相手からは見えないらしい。あなた、教えてあげたら、と言ってみるも、当然、遠い主人の耳には入らない。さあ、どうやって伝えよう、という問いが自分に返ってくると同じくして信号も青になった。すると、その給油口の開いた車はすさまじい勢いで加速し、地平に消えていった。さすがの主人も、これに少しは驚いたようだった。
それから何度目かの赤信号で止まると、そこはもうバイパスを抜けており、田園地帯が左右に広がっていた。田植えは終わっているようで、光に溢れたその光景を眺めていると、爽やかに風が吹き通っている感じがした。それで思わず車の窓を少し開けたが、なにか油が酸化したようなよく分からない異臭がし、すぐまた閉めた。(つづく)
※原案から着想を得て、小説に仕立て上げてみましたが、まったく自信がございません。この続きが今のところ全然思いつかないので、へたすると前編だけで終わるかも(;^ω^)
【原案】
リライト企画『第2のRira』 ①思いやりの向こう側