口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

不便だからブログが書ける。

 

便してますでしょうか。ああ、そうですか。色々と他の人のブログを読んでいて感じるのですが、多くの人に流れている、常在意識のようなものがある気がします。なにかというと、「いま自分は不便をしている」という感覚でしょうか。実際に意識しているかは別としても、この「不便感」が、多くの人にとって、ブログのモチベーションになっているんじゃないかと。

 

自分のブログを振り返ってみてもそうですが、不便であることはネタになります。たまたまコレが無いだとか、なんでうちにはアレが無いんだろうとか。モノが無くて困る経験は、ネタの鉄板です。それから、もっと大きな領域で不便を考えることもネタになります。自分が住んでいる街だとか、国について、不便という面から考えることでもネタが得られます。

 

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前に自分の住む場所の不便について書いたりしましたが、けっこうコメントも頂いて、書いた甲斐があったなと思いました。こういう「不便ネタ」は特に共感性の強いものであり、自分と同じように不便をしている人の記事を読むと、同じ感覚の人ってやっぱりいるんだという嬉しさだったりとか、いろいろな感情を覚えるものです。

 

それから、たとえば商品レビューをしているブログを読むと、その意識の根底には不便があるのだろうかと常々思います。最新の家電だとか、ネット関連機器を次々と購入し、その評価をしているブログなんて割とよく見かけますが、私からすると、とにかく不便は無くしたいという欲求をブログで体現しているようにも見えるんですよね。

 

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あとは、そういう即物的な感覚じゃなくても、不便は付きまといます。例えば、人間関係なんかもそう。自分の望み通りの人間関係が得られないのは、不便という言い方で普通は表現しないですけど、それで不利益があるとやっぱり不便ですよね。そして実際、ブログを書いている多くの人が、人間関係について書いています。

 

他人との関係だけじゃなく、自分自身が不便な性質を持っていることも、大きなネタになります。人と話すのが苦手だったり、朝起きるのがどうしても苦手だったり。自分の苦手な部分との日常的な相克により、ネタが自然と蓄積するわけです。本人にとっては不便極まりないことでも、ブログにとっては、とてもおいしいネタなのです。

 

ふと思ったんですが、もし不便なことが一切消え去ったとき、その人は果たしてブログを書いたりするでしょうか。不便を見つめることでブログが書けるなら、一切書けなくなった時というのは、実はその人にとって最高の生活をしているという事ではないでしょうか。これは極論でしょうけど、ブログとの理想的な決別とは、そういう事なのかもしれません。

 

ちなみに、いま私にとって最高の不便はメガネです。いつも使ってるメガネのですね、右耳の方の取っ手がぽきんと取れまして、なんつうか、サイヤ人のスカウター風になっちゃってまして、ある意味非常にかっちょいいわけなんですが、今からメガネ屋に行って参ります。