口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

あなたが終わるのがほんとのオワコン。

 

近やたら、「ブログはオワコン」と目にしますが、ピンときません。あなたが終わらなければいいだけじゃないですか。10年ぐらい前からオワコンといわれてるコンテンツが、どっこい今でもユーザーを抱えて生きてるのを考えると(ニコニコ動画とかmixiとか)、オワコンつまり「終わったコンテンツ」とは、一体何を指しているのかと思うのです。

 

凄くいい加減な考察ですが、あるコンテンツの最盛期というのは、そこを代表する「スター」のような配信者と、その熱烈なファンがいる。その二者が、ある限られた時期にお祭りのような一体感を伴いながら過ごすことができたと。でも、当の配信者が何らかの理由で撤退すれば、同時に熱烈な読者や試聴者も散っていくわけです。

 

ファンは配信者が消えたことにより、コンテンツ自体が終わったものと錯覚する。特にそのコンテンツ内で、ビックネームの配信者にそれが多発すれば、「ああ、(俺らにとって)このコンテンツはもう終わりか」と感じるのでしょう。その後、配信者が別のコンテンツに活動場所を移せば、以前のファンもそこに移ってくるわけです。

 

そしてまた、新しいファンも含めて一体感を伴うことになる。でも会場が違うわけだから、今までと違う雰囲気も受け入れなければならない。特に古参のファンはそうです。で、時おり望郷に浸ると。ああ昔は良かったなんて。そういう受動的な感覚の中で「オワコン」という曖昧なものが、これまでも、これからも、なんとなく決められていくような気がします。

 

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逆に配信者側からすると、自分のコンテンツを背中に背負って、移動しただけです。今住んでいるところよりも条件がいい部屋を見つけたから引っ越す感覚でしょうか。その人が引っ越したから、前に住んでいた部屋は「オワコン」なのかというと、そんなことないでしょう。その物件に深刻な問題が無い限り、普通に誰か住むんじゃないですか。

 

大正時代に建てられたなんてアパートだったら、耐震基準を満たしてないから今年中に壊しますなんてことになるかもしれない。これはネットのコンテンツもそうで、あまりにも脆弱なものは崩されてしまう。それに対して、「あの雰囲気が良かったのにぃ~」と残念に思う人もいるでしょう。まぁそれは分かりますけど。

 

そろそろまとめると、「オワコン」というのは、その人自身が配信者であれば、引っ越しをすればいいだけの話じゃないかと。配信者も同時にコンテンツの住人でもあるわけで、「あの頃は良かったな」と、思い出に浸ることもあると思います。でも、コンテンツを継続すること自体に深刻な問題がない限り、どこでだってやっていけるもんじゃないですかね

 

逆に受動側というか、「オワコン」と連呼する人は、ブログでも何でもいいので、自分でなにかを続けたらいいと思うんですよ。他の人が辞めたとしても、自分だけは細々とやってみる経験を積むといいかもしれない。あなたが終わらなければいいだけじゃないですか。大事なことなので二回言いました