口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

「会社に行きたくない」と自分の器。

 

しぶりにつくづく感じております。そう、毎朝の「会社行きたくねぇな~」っていうアレ。なんなんでしょう、こいつの原因って。妄想でしょうか。つまり、会社は正直言って不可解なことだらけですが、そこで今日起きるであろうことを前もってイメージしてしまうので、会社に行く前からして、すでに不可解を味わった気になってしまうのかもしれない。


それかもっと根本的な、自分に潜む本性からの警告でしょうか。私の中にいる本当の自分みたいな奴が朝になると叫んでいるのかもしれない。「会社行くなんてヤバいよ~。悪いこと言わないからやめといた方がいいと思うよ、うん」みたいな(笑)。日本人全体として、朝、会社に行きたいと思う人と行きたくないと思う人の比率はどれくらいのもんだろうか、なんてのはネットで調べなくても大体結果が察せられそうです。


会社に行きたくない理由のひとつに、行くまでが過酷だからというのも世間的によく聞きますね。都市圏で朝の通勤ラッシュに巻き込まれるのは鉄板であり、電車にぎゅうぎゅうに押し込められて、自分が人間なのか単なる貨物なのかわからない状態で運ばれていく。想像しただけでも過酷。コロナウィルスでだいぶ状況は変わったといっても、変わらない状況を享受している人は世界中に居るのでしょう。


でも、私の住んでる場所は田舎だし、通勤ラッシュの苦しみがほぼありません。通勤は過酷どころか、移動することそれ自体なら楽しめるくらいです。でも、どこか心が晴れないというか、妙な蟠りを感じつつ、じりじりと職場が近づいてくると、仕方なく観念してドアをくぐるという日々です。

 

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で、毎朝布団の上でごろごろしながら、「会社行きたくねぇ~」と悶絶してるんですが、これは結局、「自分の器」の問題ではないかとも感じるわけです。なんでわざわざ、朝っぱらから会社の事ばかりで頭が満たされるのだろう。地球の環境や、宇宙の成り行きについてはなぜ想像しないのか。


今日はとっても素晴らしい天気なのに、これから会社に行くとなると、なぜ曇った感情のフィルターを通して見上げる事しかできないのか。通勤途中でかわいい犬が散歩していても、かわいいと思うどころか、(気楽でいいなこいつ)みたいな感情が湧くのはなぜか。


どうにも会社に影響され、意識が狭窄してしまいます。壺に閉じ込められてしまう感覚です。なんとも窮屈。でも解決策として、いきなり壺を割ってしまうのはよろしくないと思います。なんせまだ働き始めて一か月も経ってないですから(笑)。感情が壺の中に入ってしまうのは仕方ないとして、せめて、その壺をもう少し大きいサイズにできないかと考えています。


まだその方法がいまいち分からないんですが、朝、新聞を広げて読むことにしました。紙の新聞なんて久しぶりに触りましたが、電車で新聞を広げて読む人の気持ちが多少分かった気がします。これは気がまぎれるというより、器を広げていく儀式に近いものなんですね。あ、新聞で見たんですが、ンゴロンゴロ自然保護区って語感いいですよね。私も一生に一度くらいはンゴロンゴロしたいです😎