口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

動物を飼うのはお任せします。


10年ぐらいペットを飼ってません。最後に飼ったのは金魚です。三匹飼っていて、それぞれ名前が付いてました。白い斑点が三つ付いていた「さんこちゃん」、背びれの根元にポコッとしたコブがあった「ぽこりちゃん」、その二匹を性欲丸出しで追いかけまわす「かずあき」。最後まで生きていたのはかずあきでした。


飼っていた当時、私は実家を離れており、主に世話をしていたのは母親でした。金魚といえど大変そうでした。旅に行くのが趣味なのに、金魚を飼い始めてからは一泊二日以上の旅行はできず、鬱憤を晴らしたい時は私を実家に呼び戻すというパターンが数年続きました。父親や弟はなんというか、ペットを世話するという素質が無く、任せることができなかったようです。


最後の金魚を看取った直後に東日本大震災が起き、旅行どころじゃなくなりました。しばらくはあたふたするばかりで、ようやく落ち着いたころ、私と同じように地元に戻ってきていた友達と海岸沿いをドライブすることになりました。


二人で泣きました。飼い主を失い、当てもなく彷徨っているペットを見ました。力なく路傍に佇みながら、こちらを見送る犬や猫たちの表情を今でも忘れることができない。どこまでも車の後ろを追いかけてきた雑種犬の姿もまだよく覚えています。それからは、ペットを飼いたいという感覚が消え去りました。


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ペットを飼う際の理想は、もちろん彼らを幸せにしてあげることでしょうが、その大前提となるのは、飼い主が生存することです。まずこの自信がすっかり無くなりました。なぜ自分の生存すら定かではないのに、人に依存しなければ生きられない動物を飼うことができるのだろうか。これが極論なのは承知してるんですが、なんだか妙に「ふわっとした」理由で動物を飼っていたよなぁと、あらためて実感したんですね。


ペットを飼っている状態とは、それぞれが「ノアの箱舟」なのだと思います。船の完成度はまちまちです。ある船は飼い主が流され、ある船は動物が流され、最悪、両者とも流されたりする。外的要因だけではなく、広さに合わない数の動物を飼えば船ごと沈み、中には船内で動物に暴力を振るう飼い主もいる。それぞれがそれぞれの事情と環境を孕みながら、当てもない旅をしているような感じ。


こう考えるとどうも危うくて、無事にたどり着ける船はどれだけあるんだろうなんて考えてしまう。私は「ペットなんか飼っちゃいけない」なんて声高に訴えるつもりはないですが、もし飼うのなら、真剣に考えて買って欲しいと思います。真剣にというのは、仮に自分に明日が無いと考えた場合に、どうペットを託していくか。他の「ノアの箱舟」を状況を把握して、信頼できる船に乗せてあげられるか。そういうことだと思います。


まぁそんなこんなで、今のところペットを飼うつもりがないです。動物を眺めたり、触りたくなったときは、動物園や牧場に行ったり、その辺をうろついてる地域猫を追いかけたりします(めっちゃ逃げられる)。あと、地元の小学校でけっこう珍しい動物を飼っているところもあって、ちょっとお邪魔して眺めたりします。クジャクはフライドチキンにすると何人分かな🍗



Iggy Pop- I Wanna Be Your Dog

こんなおっさんが「お前んちで飼ってくんねえか」って言ってきたら困る。