口から出まかせ日記【表】

酢の物が美味しい時期になりまして。

人の形は保っていてね。

 

しい習慣は大事だとか、どいつもこいつも私も偉そうにほざきますが、最近思うのは、習慣は続かないとダメとかいう単純なもんじゃないんじゃないか、みたいなことです。むしろ、続かない理由の多くに、そもそも他の習慣が関係しているんですよね。


いってみれば、自分の中に住んでいる習慣の大御所の御前に、新人の習慣がぽっと入ってきたところで、虐められ、足蹴にされておしまいなのです。マインドフルネスだろうがプログラミング言語だろうが、自分の中に根を張った重厚な習慣が、養分を吸い取ってカラカラにします。


会社の昼休みに本屋に行くと、習慣を身につけろと言わんばかりの本が並んでます。ぱっと見、戦争です。ちゃんとした習慣を身につけないと敗北宣言を出すことになりますよ。すると不平等条約を締結させられて大変なことになりますよ。だから習慣を身につけましょう、一刻も早く。みたいなノリで、習慣の確立を直訴したり、哀願したりする態度が、そのまんまマーケティングの手法になっている印象です。


まあそう習慣習慣と訴えられたところで、こっちの体はひとつだし、全てを受け入れられないのは当たり前です。だから世界の全ての人をターゲットにしており、すると、日々生み出される奇妙な習慣も、ここではダメだったがあそこでは何故かヒットする、なんてことになる。するとそこに「習慣屋」が殺到して、同じような、でも少しアレンジされた大量の類似習慣を売る。しばらくすると、もちろん反動で売れなくなり、あとは売れ残った習慣がデッドストックとして、ブックオフあたりにいつまでも彷徨う、みたいな流れになるんじゃないかなと。

 

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で、そもそも何が言いたいかというと(笑)、もちろん新しい趣味や習慣を取り入れるのは生活のハリになります。でも、そもそも習慣とは、その人らしい自然な出会い方の上で、少しずつ組み込んでいくのがふさわしいと思うんです。仲の良い友達を少しずつ増やしていくような感覚でしょうか。もちろんそういう出会いがある人もいれば、無い人もいるはずです。だから、根本的に不平等です。


なので、後天的に習慣を買うわけなんですよね。なんでもいいんです。料理の本でも、スマホアプリでもいいし、オンラインセミナーの会員になるでもいいし、とにかくお金を払って、自分が自然と出会えなかった習慣を手に入れられると思えるものに投資します。それが良い悪いと断定するつもりはなく、そうまでして習慣を手に入れないと、人は時間をそのまま受け入れられないのです。


それほど人にとって習慣は大事だけど、習慣が人間ではないですよね。あくまでその人の枠の中に、習慣が程よく収まっているのがよろしいんじゃないかと。習慣>人間となってしまうと、体が変形してしまいます。背中から習慣が突き出たり、腹から習慣が突き出たりする。そうすると、それと一緒に見たくもないもの、つまり血やら内臓やらも流れ出ることになり、見苦しいのです。


習慣は骨格として、外からは隠れているが、内側でその人を確実に支える。そういうのが理想かなぁと思っています。私だってこれから色んなことに手を出すでしょうが、あくまで自分の中に確実に収められるぐらいにしておく。そうしないと、自分の体が不格好になって、生きづらくなりそうですから。

 


ラジオ体操 第1 ・第2、首の体操

ラジオ体操は収まりのいい習慣のレジェンド。