口から出まかせ日記【表】

うがい、手洗い、納税。

風習の失い方。

 

二十四年ぶり、二月二日の節分はいかがお過ごしでしたでしょう。豆撒きはしましたか。玄関先に鰯の頭を刺したヒイラギを飾ったりしましたか。恵方巻は食べましたでしょうか。鬼の一匹二匹ぐらいは成敗しましたか。うちは一応、スーパーで恵方巻を家族ぶん買い、口に咥えて南南東を向いた後、なんかあほらしくなって包丁で切って食べました。切ったらただの太巻きですな。


というかスーパーでは毎日、太巻き寿司のお弁当を作ってるわけですから、その前段階で必ず恵方巻を作ります。それをカットしてお弁当にするのです。つまり節分の時に並ぶスーパーの恵方巻は、普段よりも手を抜いた状態で提供してるわけです。それなのに恵方巻は一本598円。太巻き弁当は398円。手を抜いてるのに高いというのは何事だ。あほらし。落花生をフライパンで炙って食いまくっていたら腹を壊しました。


今年の節分はそんな感じで雑にやり過ごしました。というか、今年に限ったことではなく、年々雑になってきている気がします。節分だけじゃありません。ありとあらゆる行事に対して、淡泊になってきています。正月も、お節料理はすっかり頼まなくなったし、正月飾りはほとんど買わなくなりました。七草粥なんてもちろん食べません。


桜の下にシートを敷いて家族で花見なんてのは、もう10年以上やってないし、鯉のぼりはあるけれどまったく出してないし、笹の葉に願い事なんて書かないし、お盆の迎え火だってもう20年は縁がないし、十五夜に団子なんて備えない。ないない尽くしですね。我が家では四季の風習がほぼ死にかけています。

 

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いや、うちだけじゃなく、日本全体でそうなのかもしれない、なんて大風呂敷を広げて想像したりもしますが、実際どうなんでしょう。よくわかりません。で、我が家で四季の行事が雑になってきているのは、例えばなにかが邪魔をして、それで満足に準備ができないからなのかといえば、そういうわけでもない。別に家族関係が悪化したわけでもなく、忙しくて時間が取れないわけでもないです。


ただ、なんとなく省略する癖が、ずいぶん前から根付いていた気がします。「去年やったから今年はいいよね」とか、「いつもこれを作ってるけど、もう今年は作るのやめよう」とか、少しずつサボる言いわけを作る癖が蓄積していって、結果、だんだん内容がスカスカになってきているような。この省略癖に、特に強い理由は感じられません。意味もなく、ラクな方へラクな方へと流れているような気がする。


そもそも節分だとか、そういう風習に強い意義を感じていたのかも、はっきりしません。そんなことを感じなくとも、こういう事はとりあえずやっておくべきなんだみたいな感覚は残っていたのかもしれない。でも、ある時点から、風習の維持には意味が無いと感じてしまったとたん、心の縁が切れて、どんどん省略され、形骸化する道を辿っていく。我が家もそうだったんでしょうか。


唐突に、それまでのこだわりに無意味さを感じ、なし崩し的に内容を少しずつ失いながら消滅へと向かう。伝統的な風習ばかりでなく、個人の風習もそういうものではないでしょうか。ある時点から、なんだかよく分からない力で何かを続ける意思が失われる危うさを、人は皆平等に内に秘めながら、ブログをやったりしてるんだろうなと、なんとなく想像しました。豆を年の数食べるのも、来年はもういいかな……。

 


清洲城 信長 鬼ころしCM

鬼ころしは熱燗用に良し。お、そういや今週のお題を達成してるじゃないですか。今週のお題は「鬼」