口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

「震災から十年」なんてものは存在しない。

 

日本大震災から十年が経つということで、テレビなんかでいかにもこう、振り返っていきましょうよ的な番組が流されていますよね。私もNHKで綾瀬はるかさんが出てる石巻が舞台のドラマをぼんやり観たりしてました。ほとんど内容が頭に入りませんでしたが(すいません)、この十年で自分の身に起こったことをずっと考えたりしてました。


震災に直接関係が無いにしろ、その年に家族をひとり亡くしており、それから数年でまたひとり亡くし、家族の形が変わったのが振り返ってみて大きい出来事でした。ずっと続くと錯覚していたものが消えた後にどういう感覚になるのか、身をもって知りました。自分の場合は時間の猶予があったわけですが、津波の被害があった地域で、一度に家族を失ってしまった方々は、どれだけ厳しかっただろうかと想像するのが日課だったときもあります。自分より厳しい状況にいる人を想像するのが、救いだったわけです。


話がズレますが、近所の風景が十年前とダブります。先月あった地震の被害がそこここに在るわけですね。屋根瓦にブルーシートが張ってあったり、石灯籠や墓石やブロック塀が倒れたままになっていたり、ビルの壁面にひびが入っていたり、そのへんで小規模な土砂崩れがあったり。歩いていてデジャビュをひたすら感じます。


十年前と同じ場所が同じように壊れています。ある種、これは再現(リメイク)だよなぁなんて皮肉な事を考えたりします。それから無常感というか、十年経ったなんてのはこっちの錯覚であって、実際のところ、時間は輪になっていて入り口も出口もなく、また始めに戻ると共にセットで地震が起きるようになってるのか。鳩時計みたいだな。みたいな邪悪な思考に陥ったりします。

 

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おめでたい事ならともかく、事件や災害といったものを節目で考えることに違和感があります。十年単位がキリがいいというのは誰が妄想した事なんでしょうか。事件や災害の当事者は、年月の節目とは関係なく、それぞれの人の回復に必要な時間を過ごされているはずです。それは節目という安直な区切りでは対応できないでしょう。


なら、事件や災害に対して、年月の節目を強調するのは誰かといえば、マーケティングに関わる人たちじゃないでしょうか。それは言い過ぎとしても、直接被害に遭わなかった人たちは得てして傍観的です。それは良い悪いの問題じゃなく、体感的に差があるから仕方ないものです。当事者の喪失感を埋めるのには、何年だとかいう数字で換算できる区切りではなく、その人それぞれの時間が必要ですが、当事者でなければ、単純にある出来事から何年経ったという数値で判断は容易いし、それは普通です。


ただ、その二つに分かれた時間感覚は、結局は分断であったり、勢力図の暗喩でしょう。「震災から十年」を謳う番組の中で、震災から十年経った今でも、亡くなった息子さんの為に食事を用意するお母さんが紹介される。その人にとっては、十年なんて時間では到底区切れないものがある。しかし、「震災から十年」という宣伝文句で企画された番組の中で、当事者ひとりひとりは収まりよくパッキングされてしまう。そして「震災から十年」と、傍観的に眺められる多数の人々から無数の視線を受けることになる。


ここには、「いつまでも忘れられない人」と、「いつでも忘れられる人たち」との、埋めようがない分断があり、震災から何年経とうが、全く変化する気配がありません。いや、寧ろその分断を映し続けることに意義があるのかもしれませんが。このあと十年後にも、似たような状況になると思いますが、私はそのころいったい何をしているでしょうかね……。