口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

ブログから趣味のエネルギーを得ている。

 

都じゃもう桜が開花したんですか。早いですね。こっちはようやく梅が散り始めたぐらいです。桜はまだ蕾の状態。どんなに早くとも4月に入んなきゃ咲きません。ああ、だんだんと近所の地面からフキノトウやスイセンが頭を出し始めました。地面からいろいろ生えてくると、やっぱり張り合いがあるというか、俺も頑張るかぁみたいな気持ちに一瞬だけなります。一瞬だけ。


これから桜やら桃の花やらチューリップが咲く度に、毎年恒例ですが忙しくなってきます。スマホでパシャパシャ、ありとあらゆるものを撮りますからね。その画像をブログだとかツイッターにこれ見よがしに載せて、悦に浸りながら酒を飲んでいるうちに春も過ぎ、端午の節句も過ぎ、梅雨も七夕も過ぎて、中秋の名月を眺めながら、「うへぇ、今年も終わるンゴ」などと呆然とする。まあ、これこそ古来からの日本人のパターンだから仕方ない(断言)


ああ、写真撮影はこのブログを始めてからすっかり習慣として根付きました。月に200枚ぐらい撮ります。撮るものは決まっておらず、とにかく直感的に撮りたくなったものを撮ります。割とこだわるのが構図というか、撮影物の配置です。といってもそんな小難しい事なんて考えられませんので、撮りたいものを中心にどーんと置き、その背景で並んでいるものの位置もテキトーに加味して、自分なりにいい感じの角度から撮るみたいなことを何となくやってます。


それとやっぱり、このブログの事が頭によぎります。ブログに使用するとなると、記事の内容との相性もあるので、それも踏まえてなるべく色んなものを撮影してストックしておこうという意識が働きます。ネットに溢れるフリー素材を使えば画像に困りはしないでしょうが、このブログの記事自体、なるべく引用に頼らずに自分の文章を書いていきたいので、添える写真もなるべく自前で用意したいという考えです。が、最近はいらすとやの画像でラクするのを覚えました(笑)

 

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あと、自分でもきわどい所だなと思うんですが、写真撮影の習慣は、ブログがあればこその習慣であり趣味であって、もしブログと縁が切れてしまえば、その習慣ごと用済みになって捨てることもあるんじゃないかと頭によぎったりします。趣味を継続するモチベーションが、ブログだったり他のSNSに依存していたりするのは、よくある話だと思うのですよ。私も多少なりともそういう部分ってあるだろうなと自覚しています。


それが悪いのかというと、そこはかなり微妙な話じゃないかと。ある側面として、これは、「誰かに認められれば継続できる」という人間の行動原理を象徴しているわけで、誰にも認められないからなんにも続けられないというより、遥かに恵まれた環境を自分に与えることが出来ているともいえる。そして、今はそれが容易い時代でもあるんでしょう。認められることに躍起になって、自分の持つキャパシティーをオーバーして潰れてしまえば、そりゃ困ったもんだとなるんでしょうが。


誰の評価が得られなくても、黙々と自分の趣味に邁進できる人は立派だと思います。その人は「自家発電能力」が高い人なんでしょう。私も見習いたいと思う一方、発電量は人それぞれ違うと思います。発電量が低いためになにかが続けられないとして、もしそれを人からの応援や評価でエネルギーを補充して、続けるモチベーションを保てるなら、それはそれでいいと思うんです。ただ、自分のモチベーションの確保に、人からの評価が必要だという自己原理みたいなものについては、時々振り返って意識するのは有意義かもしれません。


ということで、私がこのブログを続けることにより、写真撮影の趣味も継続され、私の写真を眺めた人々がハッピーになり、つい外を闊歩したくなり、するとそこらでカップルが誕生し、ちょっとここでは言えない凄まじいことをした結果、出生率が上がり、景気がV時回復し、黒柳徹子もすっかりサイボーグ化するなど明るい日本の未来の創造をまさに私が引き受けているともいえるわけで、今後もどんどんそのへんの雑草とか撮ろうと思います。押忍!!

 


松任谷由実 - 春よ、来い

この曲を春になってから聞くのはちょっと遅いんでしょうか。