口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

いい香りとの生活。

 

っかり金木犀の香りが空気に溶け込む季節になりました。毎日、鼻孔をくんかくんかしながら過ごしてます。去年は金木犀の花が咲くのが遅かったんですが、今年は例年通りでしょう。いずれにせよ、金木犀の香りがこの世で一番好き。

 

star-watch0705.hatenablog.com


と、言い切ってしまいたいところですが、嘘。好きな香りがいっぱいあって選べないというのが正直なところ。建造中の住宅から漂うケミカルな塗料の匂いとか、温泉地に近づいてきたときに香る硫黄の匂いも好き。どちらも好き嫌いが分かれる香りでしょうが、私は両方好きですね。こういうのはもしかしたら、「味音痴」ならぬ「匂い音痴」みたいなもんかもしれない。


とりあえず金木犀の香りは好きな人が多い印象なので、ここんところは、人との会話に困ったときなんか、「う、うわぁ、最近は金木犀の香りがすごいですねぇ、へへ」とか言っとけば何とかなるし、仕事で相手先にメールを送る時の文面でも、「すっかり金木犀の香りがうんぬんかんぬん。ところで先日の件ですが……」なんてやればなんとかなるのは、金木犀のおかげです。


香りが日常の幸福感を底上げし、さらにコミュニケーションの橋渡しとしても役目を果たすというのは、もちろん古今東西にあるのでしょうが、実にいい文化じゃないかと思うのです。私もなるべくだったら悪臭は避けて、一年中いい香りと付き合っていきたい。といっても自分は、アロマオイルや香水を揃えたいとか、ある特定の香りをずっと身につけていたい、みたいな欲求は薄いです。

 f:id:star-watch0705:20210918180607j:plain
↑こないだ泊まった旅館に置いてあったいい感じの香炉。

金木犀の香りが好きなら、その香りがするアロマオイルなりを一年中楽しむとか。悪くないと思うんですが、常日頃から好きな香りが近くにあると、大して特別なものではなくなります。するとある意味で、その香りは死ぬんじゃないですか。もちろん香りは金木犀そのもの。それどころか、抽出されて濃縮されたぶん、現実の香りよりも力強いかもしれない。


でも、その香りの由縁となる季節であったりとか、そういった背景が薄れて、香りだけがぽつんとそこにあることに、私はとても違和感を感じるんですよ。それに、たとえ好きな香りとはいえ、手放さずにいる状態は何かしら感覚を鈍麻させないかと思っています。なにより、自然とその香りが漂う季節が巡ってきたとき、感動が薄くなるというのが、私には哀しい。ということで、金木犀の香りが好きといっても、今の季節だけ楽しめればいいかなと自分は考えています。


ただその、季節に関係なく、うっすらといい香りがするような空間。そういうのはいいですよね。カフェなんか、半分はその店の「香り」を楽しむために行くようなものだと思ってますが、押しつけがましくない程度で、なんとなくいい香りがする中で生活するのは、「底上げ」という言い方はあんまり好きじゃないんですけど、確かに生活の基本的な姿勢を少し引き上げているような感じがします。


上の画像はこないだ泊まった旅館で、煎茶のお茶っ葉が香炉にくべられてたのを撮ったものですが、なんとも懐かしい香りがして落ち着いた気分になりました。そういえば私の祖母が生きていた頃、祖母の家に行くとなんとなくいい香りがして気分が落ち着きましたが、別に特別な香りじゃなく、お茶とか畳の香りが混然としたものだったんでしょう。ところで、今こうしてブログを書いている私の部屋の匂いですが、なんかねぇ、さっきからう○こ臭いんですようっすら。開け放った窓から爽やかな秋風と共に異臭が入り込んでくる。どういうことなんだ。ふざけるなよ👹

 www.youtube.com