口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

今年読んで良かった本ベスト3を発表します。

 

ういや前に、「もし無事に生きてたら、年末ぐらいに今年読んで良かった本の書評を致しますんで」みたいなことを書いてた気がするんですが、ちょうど今週のお題は「読書の秋」ということなので、この際ちゃっちゃっとやっちゃおうと思いました。ということで、ちょいと早いですが、今年読んで「マジで良かった。感動した。涙ちょちょぎれました」って本を三つに厳選。勝手ながら紹介させて頂こうと思いました。ちなみに全部購入した本です。今回いつもより内容が長くなる予感があります。よろしくお願いします🤡

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第三位 『世阿弥の稽古哲学』 

世阿弥の稽古哲学 増補新装版

🤓まずは三位から。二年ぐらい前から「能」の勉強をしたいと思い、書籍や動画を漁っているんですが、今年たまたま図書館で手に取ったこちらの本が、なんとも謎めいた難解な本でして、貸出期間中に読み切ることができませんでした。返却するのが惜しく、いっそのこと買っちゃおうと思って買いました。

🤔能の創始者である観阿弥の長男世阿弥は、先代では新興芸術であった能を宮廷芸術へと躍進させた功労者ですが、ちょうど本人の世間的な地位が上昇し、滅茶苦茶イケてた30代半ば頃から、後に『伝書』と呼ばれることになる文章を書き始めたようです。この『伝書』は「能の技術の秘伝書」であると、その研究者から捉えられやすいようですが、一方で本書によれば、誰に対して、どんな目的で書かれているのかが不明な部分も多い「謎の書」ともいえるようなのです。

🤨世阿弥が生きた時代は、誰かから依頼されない限り、文章を書き残すこと自体なかなかなかったようですね。実際、当時書かれて残存している文章は公的な意味合いのものがほとんどのようですが、そういう文化の中にあって、世阿弥の『伝書』は、自分の後継者に託す能の指南書である一方、当時としては珍しい、世阿弥自身の私的な文章であるとも捉えられるようです。実際、本書では伝書の内容を抜き出して触れているわけですが、抽象的・精神的な部分も多く、世阿弥以外に再現性が保てるのか不明な部分も多いように感じました。その抽象的な箇所にフォーカスを当てて、積み上げられていくその丹念な考察と、それでも読み解きがたい謎にメロメロになりました。以下、気に入ったところを抜粋。

バランスを取るのではない。まして中和させるのではない。「あらゆることに住せぬ」ため、芸が固定してしまう事を嫌うがために、常に対立する動きをからだの中に創り出してゆく。したがって「対立の統一」と理解するのは危険である。統一が目的ではない。むしろそのつど統一の出来事が生じることを狙っている。(p161-162)

 

第二位 『密林の語り部』 

密林の語り部 (岩波文庫)

🧐第二位はこれ。バルガス・リョサはペルー出身の小説家。2010年にノーベル文学賞を受賞しています。画像検索したんですが、若いころはめっちゃ男前。ハリウッドスターレベルの貫禄あり。86歳の今でもかっこいい。ちなみにこの本。約7年モノの「積読本」でした。買ったはいいが何故か手が進まず、ついこないだ読了したわけです。いい本を読むと余韻が続きますね。こういう事もあるから断捨離とかあんま信じてないんだ。

🤔本の舞台は主に「現代社会」と「アマゾンの部族社会」です。同一人物の視点ではなく、現代社会に住む「私」の視点と、密林の中で散り散りに放浪をしながら暮らす部族同士の、ある種の絆をつなぐ役目を果たす「語り部」の視点で話が進みます。当然、文化が違う。世界の成り立ちについての考え方や、物事の因果関係に関する考え方も違う。もちろん密林に住む部族であるからといって未開と捉えることはできず、そこにはまた連綿と続く物語や哲学があり、「自分たちが生き残るために選択している」という点で、地球上に住む私たちは皆、何ら違いはないということが、読み進むうちに心に沁みてきます。

🤨一方、そんな内面的な哲学や思考に触れるその手前で、外見や生活形態の違いから差別されたりとか、良心からでありつつも、世界に広く伝わる文化を定着させようとする人たちに、部族の人たちは影響され続けます。そうして、表面上は外から与えられた文化を生活の上で踏襲しているように見えても、彼らの奥底、いってみれば「血」に刻まれた豊かな文化は、なにかが彼らを呼びこす度に表出し、お仕着せられた文化は無碍にされ、彼らは再び密林に還っていく。そして、「語り部」から語られる、万華鏡のような彼らの世界の美しさ、そして厳しさが胸を打ちます。以下、心に残ったところを抜粋。

自分の運命をないがしろにして、だれがより清らかで、より幸福になれるだろう? だれにもそんなことはできないことだ。私たちはあるべき者になるのがよい。ほかの決まりを果たそうとして、自分の義務を放棄すれば、魂を失う。(p302)

 

 

第一位 『日常性の心理療法』 

日常性の心理療法


🤓迷いましたが、第一位はこちら。著者は、京都大学で臨床心理学を専門とされております。本書の内容は、10年以上前に臨床心理の専門雑誌に掲載されたエッセイに、新たに加筆をしたものとなっているようです。臨床心理学という事で、そこにはクライアント、つまり、この世で心の悩みを抱えて相談を希求する人と、その人の「語り」を聞き取るカウンセラーの存在を意識させられる内容ではあるのですが、同時に、カウンセラーもまた悩むひとりの人であり、無力さを重々承知の上、綱渡りのような思考や考察を以て、救いとなるべき何かというものを模索している存在であることが伺えます。

🤔内容は多岐にわたります。ネット社会。穢れの思想。コスモロジー。神話。有限性。古今東西の哲学。非日常性。祀り。いってみれば読者は著者の興味に振り回されるわけですが、それに対する語りがとても内省的であり、真摯な文章でまとめられています。心理哲学的な本を色々読んできましたが、ここまで内省的で、かつ示唆に富んだ本は初めてです。難解な内容ではあるのでしょうが、それを感じさせない何かがある。いってみれば、文章を通して著者の優しさが沁みだしてくるような印象です。ということで、心に残った箇所を抜粋。

誤解を恐れずに言うならば、臨床性を生きるためには心理療法家は「無力」でなければならない。これはけっして無知や怠慢がゆえの無力ではない。無知や怠慢がゆえの無力は、能動性の限界に突き当たることを先延ばしにしているだけであり、ほんとうの意味での無力さではない。どんな努力やどんな知恵を尽くしたうえでもなお残る無力、自分ではどうしようもない事実、絶対的な外部性があるという畏れに心理療法家は開かなければならないであろう。(p145)

 

😵うおおっ。やっぱ思ってたとおりちょいと長くなってしまいました。ここまで読んでくれてありがとう愛してる。