口から出まかせ日記【表】

酢の物が美味しい時期になりまして。

正気になれる通勤時間。

 

さが本気を出してきました。ちょっと新聞を取りに玄関のドアを開けた瞬間の空気の冷たさ。手加減なしといった感じ。家の前の道路も、朝のうちだけ薄っすら凍結し、そこを近所の学生さんがスクーターで通りがかります。この寒いのにグローブもせず、おそらくノーマルタイヤのままでしょう。ようやりますねぇ。私はもう来年の春までバイクを封印することにしましたよ。


そういえば、うちの家族のひとりが、仕事の関係で今月中に生活の拠点を変えることになりそうです。引っ越しの準備などしなければならないはずですが、その割に本人は妙にのんびり構えて、堅あげポテトなんか食ってます。実際、まだどこの支社に配属されるかも決まってないらしい。そんな、ギリギリでいつも生きていたいからみたいな会社、ほんとうに大丈夫なのだろうかと心配しています。


本人は一人暮らしの経験があるものの、生活の仕方に疎い部分があり、私から色々アドバイスをしています。「なるべく大戸屋の近くで暮らしなさい。大戸屋をお母さんだと思いなさいね」「風上にお墓がある物件は、常に室内がなんとなく線香臭くなり、人との縁が離れていく」などと、私の経験を踏まえて伝えています。あとは、「なるべくならバス停や駅の、始点か終点の近くで暮らしなさい。人生の余裕が違いますから」とも伝えていますが、本人は目の焦点が合わないまま頷くばかりです。


バス停や駅の始点か終点の近くでの生活を薦めるのも、勿論私の経験上のこと。というか現在も、家の近くにバス停の始点があり、そこから毎朝バスに乗って通勤しています。始点なので必ず座ることができるし、終点につくまでの30分ほどの時間で、色々な事ができるものです。ブログを読んだり、音楽を聴いたり、妄想にふけるなどの自由を捻出できます。この時間があるからこそ、定期的なブログの投稿ができるといって過言ではないかもしれない。

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あまり意識してそこに決めたわけでも無いのですが、私がこれまで暮らしていた場所はどこも、公共交通機関の始点・終点の傍でした。そうなると自然に、「確実に席を確保して目的地までの時間を好きに使える」事を前提とした生活になります。固定された自由時間が毎日与えられるようなものだし、その時間は他人からの干渉もほとんどありません。


ということで、人の流れの一番先からスタートしているからこその余裕を、これまでずっと満喫してきたわけです。通勤・退勤の時間に読み終えた本の冊数もバカにならないと思います。他にも、聴いた曲の数とか、よく分からない妄想の類も数知れず。また、前日にあまり眠れなかった場合に仮眠をとるなどして、体調のリカバリーも図れる。いいことづくめです。


「いやいや。最高なのは学校や職場から歩いて10分ぐらいの距離感に住んでるのが一番っしょ」という人もいるでしょう。うん。私も実はそっちの方が遥かにラクでいいよなぁと思っているんですよ笑。だけど、家に居る時間って「濁りが多い」時間でもあると思うのです。もちろんぶっちぎりで行動の選択の自由はあるけれど、とりあえず洗濯もしないといけないじゃないですか笑。自由と安らぎと共に、生活の軛があるのが家なのです。


通勤時間は、そんなプライベートと社会生活の合間にポコッと出現した、「第三の時間」ともいうべきものかと。その間は宙ぶらりんです。何でもできるというわけじゃないですが、だからこそ、限定的かつ効果的な自由時間に成り得ると感じます。家ではついついサボっていた勉強を、ここぞとばかりするとか。みんな、毎日なかなかにやることが多くて正気を保つのも難しいくらいかもしれませんが、通勤時間こそ、案外その人にとって最も正気に近い、束の間の時間を提供してくれるんじゃないかと思っています。


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安全地帯のサードアルバムは昔から通勤時間によく聴く。