口から出まかせ日記【表】

殺しにくる夏。

語尾の話。

 

拶強化月間でしょうか。朝、道を歩けば小中学生がやたらと挨拶してきます。が、「おはようございます」などと一字一句正確に発音する子はいない。「ざいま~す」「はよ、ござい」「はいます~」とか、てんでバラバラです。そりゃあ眠いだろうし、教科書の詰まった荷物は重いしで、まともな挨拶などできるわけないのです。私もかつてはそうでした。「っす~」とか、とにかく語尾を伸ばして誤魔化してきたのです。それでも人は生きてゆける。


ぜんぜん話が変わりますが、私は三十代になってから主に福祉関係の仕事をしており、業務として「支援記録」というのをずっと書き続けてきました。介護施設なんかだと、ひとりの利用者の一日の行動を追いながら記録を書いていきます。「〇時〇分、喉の渇きの訴えあり、お茶150ml提供した。」とか。利用者の行動とスタッフの対応を、PCの専用フォーマットに入力します。


記録なので当然、語尾は過去形ばかり。「~した」「~を行った」「~と感じられた」等々。一日の最後に書いた記録のチェックをしますが、語尾が過去形ばかりの文章は、読んでて疲れます。ブログを読むのと比べても妙に疲れる。同僚に「読んでて疲れません?」って聞いたことあるんですけど、「あ~、なんか分かりますよ」とか言ってました。


なぜこうも疲労感を感じるのか。私の印象として、語尾が過去形の文章は、どんどん自分の中に「積み上げられていく」感じがしますね。もちろん仕事で書いている文章なので、実質的に記録を積み上げているわけですが、文章には物理的な重さがないとはいえ、「積み上げている」という印象そのものが、感覚的に疲労感を誘発させているのではないのかな、と思ったりします。

 

 

あと、過去形の語感ってなんとなく上り調子じゃないですか。「○○であった↑」「○○でした↑」みたいに、音が上を向きます。ひとつひとつの文章では大したことなくても、同じ語尾が連続することにより、読んでいるうちに、微かな疲労感が「積み上げられる」んじゃないかなぁと。


なので仕事で関わる以外の文章、つまり、こういうブログを含めたネットの記事や、本なんかもそうですが、過去形ばっかりの文章って正直、あんまり読みたくないんですよ笑。もちろん過去形を使わないと文章が成り立たないのは承知してますが、そこに甘んじず、色んな文体を使って、読み心地を工夫している文章を好みます。で、その好みは当然、自分で書く文章にも反映されていく。


ということで、なるべく当ブログでは、過去形を使わないよう工夫しているわけです。いま、「わけです↓」って、語尾の音が下がるようにしましたが、こんな感じで、「どこかで語尾を上げたら、その次は語尾を下げる」みたいにバランスが取れたら理想なんですよね。これは誰かへの配慮というか、自分が読みやすいからです。そして自分が読みやすければ、誰かにとっても読みやすい、んじゃないかなぁ~とか思いながら書いてます。


あ、余談ですが、小説家でいうと芥川龍之介の文章は読んでてかなり疲れます。あの人は過去形が連続するので、正直、読みにくいよなぁと昔から思ってるんですが、何故か全集を揃えています笑。逆に、夏目漱石や太宰治は文体が工夫されており、現在進行形も体言止めも組み込んであって、読むたびに「上手いよなぁ」と感心しますが、本自体は数冊しか持ってません。そのあたりの中途半端さは自分でもよく分からん。

 

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うかうかしてると今年の夏もすぐ過去形になるぞ。