口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

本を読むと映画が始まる。

 

い数日前まで、はてなブログのお題に「秋だし、おすすめの本を紹介しましょう」みたいなのがあった気がして、「おっしゃ、書いたろか」と思ってたんですが、いま見たらもう消えてますやん。そう、こういうとこがはてなのいけ好かないところなんだよな。俺が書くまで待て。一年でも二年でも五年でも待ってろ。俺はPRO会員様なんだぞ。


まあそれはどうでもいいんですが、こないだTwitterのタイムラインでチラッと眺めたツイートで、「本を読むと、頭の中でイメージが映像で流れるって人、マジで言ってんの? 私なんか全然なんも思い浮かばないよ」みたいなのを見かけました。これってなんか聞いたことある話だよな~と思い、ちょいとネットで調べたら、数年前のtogetterの記事を見つけました。

togetter.com

なかなか面白い反応が集まっている。文章を読むと映像でイメージが思い浮かぶので、読んだ文章が映画やアニメなどの映像作品になると、自分の頭の中にあったイメージ映像とのギャップが生じる、という人もいれば、文章を読んでも映像は思い浮かばず、文脈を通して意味を理解する、という人もいる。あと、読んでると登場人物の声が聞こえるとか、絵は思い浮かぶとか。言ってしまえば、人それぞれバラバラみたいです。


私は明らかに「文章を読むと映像が頭に流れる」タイプ。しかも、登場人物のセリフも人の声で聞こえてくるし、場面ごとの「環境音」も聞こえてきます。川の近くならせせらぎの音が、電車の中なら走行音も聞こえてくる。その上で、文脈に沿った場面が映像で流れていく感じ。ほとんど映画を観てる感覚に近いかも。本を読むと勝手に頭の中で映画が始まるのだ笑

 

『ケサル王物語』はおススメ。チベットの古典ですが、非常にベタなストーリ展開が心地良い。「なろう系」小説に組み込めそうなネタの宝庫かもしれない。

 

ただ、初めから終わりまで順調にいくわけではなく、同じ小説でも、容易に映像化できる場面と、イメージが思い浮かばず曖昧になる場面とに分かれる感じなんです。ジャンルにもよりますね。現代小説ならば割とイメージが思い浮かびやすいけど、これがSF小説となってくると、現代とはテクノロジーのレベルが違ってたりして、文章でそのあたりの描写を追うと、頭が追い付いていかない感じが出てきたり。作品や作家によって違いはあるから一概にいえないのですが。


それに、頭にイメージが思い浮かんだとしても、「これで正解かちょっと分かんねぇな~」みたいな、自分の感覚への猜疑心は常にあります。読んでて自然と生まれたイメージなわけだし、それをとりあえず正解としなくてどうすんだとも思うんですけど、文章の一部をなんか違うものに勝手に変換してないかな、とか、建物の感じはこれでいいんだろうか、みたいな。頭の中の映像にあんまり自信が持てません笑。


なので、読んだ本が映像化されたのを観ると、「あ、これが正解だ」とすんなり折れます笑。自分のイメージとのギャップ以前に、こっちが頭の中で組み立てた舞台設計のショボさに愕然とすることになる。読んでて曖昧だった部分も、映像を見て「なるほど、ここってこんな建物だったのか」みたいに、ようやく正解を教えられたような気持ちになります。ただし、場面ごとのスピード感。これは読んだときと、映像化されたのを観たときでギャップを感じることが多いですね。


本で読んだ時は、もう少しゆったりとした場面だったはずが、映像では意外とさっさと終わらせられてしまったり。逆に、本ではスピード感満載の場面だったはずが、映像だと案外に悠長だったり。まあ、原作者・映像作家それぞれに「見せ場」の感覚が違うのだろうから仕方ないのでしょう。で、次にその原作を読むときは、自分のイメージと映像作品がかけ合わさった「完全版」が脳内で再生される。そんな感じです。

 

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小説が原作の映画といえばこれがすぐ思い浮かぶ。原作者の横溝正史がけっこう高齢になってから映画化されて、人気が出たようです。ある意味、原作者の夢を体現したような。