旅行は帰還してから案外やることが多いものです。特に私みたいなインターネットに脳を焼かれた人間は。旅行記をブログ記事にしてまとめなければですし、お世話になった宿泊施設や、食事をしたお店について、感想文をレビューサイトに投稿したりなどのアフターケアに忙しい。そうそう、サブブログの方に静岡旅行の記事を投稿していきますので、よろしかったら眺めてみてください。
で、今もちょうどレビューサイトをチラチラ眺めながらこの文章を書いてるところなんですけど、そっちに気を取られてこっちの文章がぜんぜん捗りません。同じ宿泊施設や飲食店を利用していながら、私が感じることのなかった多種多様な感想・意見・不満不平が渦巻いているのは、中毒性のあるエンタメです。Googleマップで口コミを眺めているだけで、私の人生、飽きずにやっていける気さえする。
なにより、旅行後の口コミ漁りこそ、ミステリアスな推理小説を読み解くように味わい深いものです。もしその場所を利用していなければ、あるお客さんの書いた不平不満を詰め込んだ文章をすんなりと受け入れてしまうかもしれないところを、私は実際にそこへ入ったからこそ、🤔な顔をしながら想像を巡らせることができるのですからね。ふーむ、この人はなんであのスタッフさんの態度がそんなに気に入らなかったのだろう。へぇ、この人はあのお店の味付けが「薄い」と感じたんだ。私は素材の味が良くて普通に感動したんだけどね。なんて、自分の実体験とのすり合わせが面白くて止まらなくなります。

静岡の食べ物はなんかやたら美味しかったです
ところで、ネット上のレビューや口コミって、その人の怨念を突きつける場として機能しやすいものです。大抵の人は、満足しようと、多少不満があろうと、そもそもレビューを投稿するなんて手間がかかることはしません。わざわざ口コミを投稿するのは、ネットに自意識を漂流させられる、多少なりとも感覚が麻痺した人がするものです。ただ、そこには自意識の表明に関わる「美意識」もまた関与してくる。つまり、他人からどう見られるかという美意識が本人に備わっていれば、ネットに投稿する口コミの内容にも抑制がもたらされます。
意識の備えがあり、バランスの取れる人ならば、たとえ体験的に不満な部分があったとしても、それだけで文章の内容を完結することなく、満足した点についても言及して、テキストの全体的な印象を整えることができます。そうすることで、自分の体験を必要以上に汚さずに済みますからね。自分の思い出を大事に扱うことができる人は、その自意識がレビューの内容にも反映されるのです。じゃあ、口コミサイトで不満と低評価ばかり垂れ流している人はというと、自意識の保ち方がすでに怨念化している人が紛れ込んでいるなと私は思います。
ここが嫌だ、あれが不快だった、などと躊躇なく表現できてしまうのは、一般的な人間社会では恥となるのです。そういった個人的な感覚をブログなどに吐き出すのは一向に構わないんですが、レビューサイトや口コミサイトは、あくまでも情報の集積が目的ですから、そこを自意識由来の怨念を撒き散らす場にして欲しくありません。それこそ、みんなで食事をしながら談笑していたところに、いきなりリングの貞子みたいなのが現れて呪詛を吐きまくり、周りを呆然とさせるような行為ですよ。もう少し場の空気を読みましょう。できなきゃ塩撒くぞ🧂
久保田利伸は静岡市清水区出身