口から出まかせ日記【表】

家にあるホッカイロすべて有効期限切れ。

あるところにはあるのです。


こんところ、私の「推し」と呼んでも過言ではない、日本の国民とほぼ同じ登録者数を誇るユーチューバーの「ピューディパイ」が、群馬県をエンジョイしてる動画をアップしました。

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私の知ってる群馬じゃない。群馬といえば修羅の国。崩壊したビル。ところどころ巨大なクレーターの開いた田んぼ。道端に沿って十字架にかけられた人々。そうしたイメージは万人が共有しているものですが、賢明な彼が訪れたのは比較的治安のいい地域なのでしょう。普通にオシャレな宿泊施設などが紹介されております。


彼が泊まった「あさま空山望」なんて、調べたらヤバい。「ヴィラ」という別荘を借りて過ごせるところなんですが、別荘ってレベルじゃねえぞ。私は一生住める。温泉やレストランが施設内にあるので、お金さえあれば快適です。一泊で諭吉が十枚飛んでいきますがね。もし私が権力を握ったらここを接収するからみんなで暮らそう。他にも群馬のスポットを色々と巡っているのですが、「あるところにはあるんだな~」という感想に尽きます。

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そういや、私なんか会話をしてて、出身地を人から聞いたりすると、「そのへんって、正直、何もないとこじゃないですか」なんてつい舐めたことを言ってしまいがちです。が、相手も、「いや、マジでなんもないとこだよ。採石場とかはあるよ」などと同調。しまいには、お互いの住むところに何もないと言い合う、不毛な会話の応酬になりがちだったりします。

 
チェアリングいいぞ~


こういう会話、別に嫌いではないんですが、案外、自分の意識に刷り込む力が強いんじゃないかと思うのです。というか、「何もないような田舎に住んでいる自分」というキャラクターを、他人との関係において表明するのが、ある種の「クセ」になってしまうのですね。まあ、コミュニケーションのきっかけとしては悪くないとしても、実際に何もないと思い込んでしまうのは、生活の幅が狭まることにもなり得る。


だから、「自分の住んでるところには何もない」というネタは冗談半分にしておいて、現実的には、何があるか探り続けた方がいいと思うんです。でもこの、「何かがある」というのがそもそも、人によって感覚が違うから難しい。高層ビルがニョキニョキしてないと「何かある」と認定しない人もいますし。そのあたりは、個人の感性だとか観点とかで基準はバラバラでしょう。


私は高校生ぐらいまで、地元ってほんとなんもない場所だなと思ってました。その後、各地を転々とした時期があり、今は地元に腰を落ち着けています。ただ、かつてのように「何もない」とは思いません。むしろ、「あるところにはあるぞ」と感じますね。新しい店や施設が増えたこともあるでしょうが、自分の変化が一番大きいかもしれない。別な場所に住んでみて比較した結果でもあるし、また、単純に足を踏み入れる場が広がったので、発見が増えたこともあるのかなと。


最近、チェアリング(外で椅子を置いてのんびりする文化です)にハマりかけてるんですが、これも発見が多いですね。行き慣れた場所でも、椅子を置いて休むとなると、ポジション取りになかなか悩まされる。ようやく腰を落ち着けて、コーヒーなんか啜りつつ、「ここはありだな」とかひとり呟いたりしてますよ笑。寒くなる前に、なるべくこの「ありだな」を稼いでおきたい。

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大自然の中で人間椅子を聴くのはありですか?