口から出まかせ日記【表】

仏壇裏にGが潜んでおるのだ

レトロが成り立つには。

 

トロブームだそうで、確かにここんとこ80年代から平成初期あたりまでのカルチャーが持て囃されてるっぽいですけど、私の住んでるあたりも相当レトロですよ。集落っぽいとこに「木」の電信柱がいまだ立ってたりするし。違うなこれはレトロじゃなくて単にインフラがボロいまま停滞してるだけや笑。


そういう私もレトロ趣味に傾いてるところがあります。新しいピッカピカのホテルと、伝統ある和風旅館。どちらに泊まるかとなれば間違いなく旅館を選ぶような人間ですので、当然、クリーンで明るいカフェより、奥まった薄暗さのある喫茶店とかの方に魅力を感じます。そういう所に立ち入るのに多少の勇気も要るものですが、えいっと入ってしまえばなんとかなったりします。

 

で、おそらくレトロブームの背景には、「自分、こういう店にもフラっと入れんねんで」みたいな見栄も大いに関係していると思うんです。誰でも気軽に入れるカジュアルなスポットより、知る人ぞ知る穴場を見つけて楽しめることこそ、アピールポイントになりますから。だけど、その穴場がみんなに知られて混むようになったら、特別感は失われる。そこからまた「最新のレトロスポット探し」なんていう矛盾したようなことも起きてくる。そんなことやってるうちに、日本のレトロは消費され尽くされるんじゃないかとちょっぴり心配しております。

 

 
小さいミルクピッチャーにレトロを感じる。


それと、こうしてレトロが流行るのなら、新しいものが相対的に出てこないと、「レトロ」という感覚も生まれず、単に古いもの、ボロいものに成り果ててしまうと思うのです。つまり、「レトロブーム」があるのはちゃんと新しいものが生まれている証拠なんじゃないですか。と思ってその「新しいもの」を思い浮かべてみたんですけど、うーん。iPhone16とPlayStation 5 PROぐらいしか思い浮かばない。私がそもそも最新に疎くてダメだった笑。


まあ、ともかく新しいものがあってこそ相対的にレトロもある。もしこれが一方に偏ると、認識すらできなくなるわけでしょう。「レトロでええ感じのお店やね〜」と感じられるのは、レトロだと感じられる評価基準と、それに基づく客観性があるからで、仮にそういうお店しかこの世に存在しなければ、それは「レトロ」とは認識されない。逆に、新しいものしか周りになければ(まず有り得ないような気もしますけどね)、それが「新しい」という感覚すら無くなる。



何を言いたいかというと、私たちの生きているこの世界はまだどこにも行き着いていないからこそ、レトロを感じられるし、新しいものを感じ取ることもできるわけです。レトロが認識できない時代からは遥か未来に生きているけれど、新しいものが認識できなくなるほどテクノロジーは行き着いていない。まだまだ未来は果てしない、ということにしてきましょうか。



youtu.be

日本へのレトロ愛といえばこの人。