口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

休みながらモヤモヤしています。

 

のまえ会社の同僚に、「ほしさんは休みの日とか何されてるんですか」と聞かれたので、相手の眼をしっかりと見つめつつ、「ブロッコリーを茹でたりしています」と応えたところ、「ほしさん、ブ、ブロッコリー、茹でてるんですか。休みの日に、ブ、ブ、ブッロコリー茹でるほしさん。ブ、ブ、ブロロ~」と、なにかがツボに入ったらしく悶絶されていました。そうですね。二株ぐらいは一度に茹でますよ。


なんとなくネットで週間天気予報を眺めると、東北の方は今週いっぱい天気が持つようですが、再来週からぱっとしない梅雨っぽい天気になってきそうです。だったらこんな薄暗い部屋でブログなんて書いてないで、今のうちに太陽光線にしっかり当たっておかないといかんぞと、内なる自分に急かされつつ、はいはいはい、ブログを書き終わってから出かけましょうね~、ともう一人の自分が宥めるみたいな心象風景のなか、これを書いております。


そういや、こうして休日にパソコンに向かってブログを書いてたりすると、「うわ俺、仕事してるのと変わんねえじゃん」と思ったりします。自分の中でブログはすでにライフワークと呼んで差し支えないと思っているので、仕事っていえば仕事してるようなもんですが、気になるのはその「行動の型」というのか、平日に仕事をしてる時と姿勢がほとんど同じなわけです。


私の仕事は色々と記録を付けたりするもので、机に座って黙々とPCに向かう作業が割と多いのですが、そうやって過ごした平日の後に、全く同じ姿勢でPCに向かう休日を過ごすのってどうなんだろうなと。ブログを書くぐらいならいいとしても、気を抜くとそのままネットサーフィンや動画サイトを眺めるモードについついなっちゃいまして、同じ姿勢のままで数時間過ごしていることもある。そういうのは平日も休日も関係なく、日常生活が「椅子に座ってモニターを見つめる」行動に支配されている気がして、どうもよくないなと思ってます。

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なので、まあ誰でもそうだと思いますが、私も休みが来るたび「休日らしいこと」をしようと意識を高めるのですね。あらかじめどんな風に休もうか、なんとなくイメージした上でイベントを予定に組み込むわけです。「今度の休みはハンモックでブラブラ揺れながら本でも読もう」とか、「蒸し暑くなる前に森を歩いて自然の空気を吸ってこよう」とか、いかにもこう、「休んでるぜ」って感覚を感じられる行動を散りばめていく。


で、私も森の中をブラブラしたり、川の流れを眺めたりしてるわけですが、そういうとき頭の片隅にあるのは、「これをずっとやってくのかなぁ」っていう、かすかな諦念みたいなもんです。森をぶらついたり川を眺めたりするのは大好きなんですよ。その行動自体に不満を持っているわけじゃない。ただ、日常が「仕事の動作」と「休日の動作」に分かれていて、それぞれにある「穴」のようなものを埋めるために、行動を行き来しながら月日が経つサイクル。これをいつまで続けるのか、みたいなことがふと頭をよぎります。


こんなこと考えてたらそのうちハゲるかも笑。「じゃあ、あなたは仕事と休日の差のない生活を送りたいの」と聞かれたら、そういうわけじゃないです。仕事は仕事できっちりやり、休日は休日でしっかり休む。そんなメリハリの付いた日常の方が向いてると思います。ただ、まだ自分でもはっきりイメージできないのですが、仕事と休日が分かたれている日々もいつか卒業しなければならないだろうなとは感じます。というかそのうち、そうさせられるでしょうね。


私が今こうして、仕事と休みが明確に分かれていると感じられるのは、とりあえず平穏だからでしょう。ちょうど子育てをしている人は、育休を取っても仕事と休みの差はあんまりないでしょうし(だからこそ育休は必要です)、将来的に親の介護をするとなると、休みの日といえど義務的な行動を優先せざるをえない。それが分かっているなら今こうして、仕事と休みが明確に分かれている日々を大事にしなくちゃならないとは思うのですが、どうもなにやらモラトリアム的なモヤモヤした感じがこのところ漂っております。遅れてきた五月病かな(それを言うなら六月病ですか)。


ちなみに私の親戚の男たちは皆、頭空爆でもされたんかと思うほど壮絶なハゲっぷりでございます笑。私もその血を引き継いでいるわけで、いつスイッチが入るかは神のみぞ知る。ハゲたくねえよ~(´;ω;`)

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大分麦焼酎二階堂のCMみたいな休日が過ごせたら大満足ですね。