なんの因果か知りませんけど、先月から今月にかけて土曜出勤が多いのです。朝、家族がまだ「ぐぉぉぉ」と盛大に寝息を立てている時間に起きて、こそこそと朝食を摂り、誰も並んでいないバス停にポツンと佇み、誰も乗り込まないバスの中でひとり、Bluetoothイヤホンで音楽を聴き流す。自分だけがどこかへ流されていくような非日常感があります。
でも職場に着いたらいつもの通り。あれやこれやと、てんてこ舞いです。それから昼休みになると、束の間の休日感を味わうべく、自分に少しだけリッチなランチを与えることを許します。
土曜出勤の私には、昼に鮭の塩麹づけ丼を食べる資格がある。 pic.twitter.com/on72p6lis7
— ほし氏 (@zRzLiB057B5XhlQ) 2022年1月15日
その満足感というか高揚感を栄養剤代わりに、午後の勤務を乗り切る。ここんところはそんなパターンです。
で、翌日の日曜日。のんびりと朝寝を決め込むかと思いきや、出勤日とたいして変わらない時間に自然と目が覚めてしまうのです。そういや、平日と休日の起床時間の差がほとんど変わらなくなって、もう10年くらい経つかもしれません。
で、いつもと同じ時間に朝食を摂って、トイレなんかも済ませて、「朝のうちにブログ書いとくかぁ」なんて、机に座ってパソコンを起動。ふと、モニター右下の時刻表示を見て愕然とします。会社の始業時刻ぴったりなのですよ笑。時計なんて見なくても、会社のリズムが体に刻まれているようなのです。で、うちの会社は10時半くらいに小休憩の時間があるんですが、だいたいその時間までにはキリのいい所まで執筆が進み、会社にいる時間と同じようにトイレ休憩なんて取っている。そんな体たらくです。
休日ですら、会社で過ごしている時間に縛られているようで、少々窮屈な気分です。せっかくの休みは昼まで寝過ごすっていうのが、10代くらいまではごく日常だったけど、今はもう休日に昼までゴロゴロなんてしてると、なんだかよく分からない「勿体なさ」が湧き上がり、どうも落ち着かない。むしろ、多少怠かろうが、ボーンと布団を蹴散らして、さっさと起きてしまった方が気楽です。
この感覚。良い方に捉えれば、「休みでも計画的にやることがある」からこそかもしれませんが、逆に言えば、「休みなのに計画に縛られている」ということでもある。もっというと、そうさせるのは時間を売った代償として、自分自身の計画や予定を週末に詰め込まなければならない、万人が抱える宿命を身に帯びているからでしょう。まずいですな。ニートの身分から始めたこのブログですが、ニートの大らかな心を忘れかけているかもしれんぞ。
ああ。経歴にちらほらと無職期間がある私の実感としては、会社を辞めた後、その会社で働いていた頃の時間感覚が抜けるのに、三か月くらいはかかるんじゃないかと思ってます。たいていの人は、その三か月以内に新たな職場に勤めたり、ハローワークの職業訓練を受けるなどして、時間感覚をすぐ自分以外の何かに委ねようとする。というか、そうしなければ生きた心地がしないのかもしれない。
ところがニートの素質がある者たちは、その三か月が経過して、すっかり会社時間の毒気が抜けた後でも、うろたえるわけでもなく、泰然した態度のまま日を過ごすのです。そして、夜に起き、昼に寝るなど、生態系までも自由自在になる。社会時間を受け入れていたそれまでとは違った生き物になること。これがニートの正体です。なんか急にニート論を書き始めた自分がよく分かりません笑。あ、別に会社を辞める伏線とかではないのでご安心ください。では、ごきげんよう。
昔のアサヒスーパードライのCM。「いい仕事した後に飲む感」が迸っている。