口から出まかせ日記【表】

酢の物が美味しい時期になりまして。

読書と世間離れ。

 

のまえ、家に帰ってテレビをつけたら「本屋大賞」が発表されたってニュースをやってました。で、そこまで興味なかったんですけど、いちおうWebサイトの方もチェックしてみたんです。そしたら、ここんところ本屋に入ってすぐ目の前の棚とかでよく見かける本があって、つまりそういうのが選ばれたっぽいです。あれらは書店員さんが勧めてる本やったんやな。

www.hontai.or.jp

ところがですね、上のサイトで紹介されている本の一冊とて、私は読んでないし、手に取る予定すらないのです。縁がナッシング。ていうかここんところ私が買ったり借りたりして読んでいる本の作者ってほぼほぼ故人。とっくに死んでる人です。いま生きていて、頑張って本を書いている人の本を読んでいない。要するにこれまでの「遺産」で満足しちゃっているのです。


それが読書の凄いところではある。文学には数千年もの歴史の蓄積があり、現世を無視して過去の世界に余裕で埋没してしまえる。いま生きている作者なんて一切無視し、ひたすら古典だけを読んで一生過ごすなんてこともやればできちゃう。日常生活においてはどうしても生きた人間と関わっていかないとだけど、読書の世界ならばそんなのこだわらなくていい。自分が選んだ大好きな死者に囲まれてキャッキャウフフできるんだぜ。宮沢賢治太宰治、内田百閒、カートヴォネガット向田邦子森茉莉なんかをここんところ召喚しております。

 

 
最近買った本です。著者はもちろん死んでいる。

 

私の読書の嗜好は、現世から離脱していってる感が否めません。一方、上で紹介した本屋大賞みたいな、最新の文学賞を追っていくリアルタイムな読書もある。だから、「読書が趣味です」とかいっても、人によってベクトルが異なるわけです。それは、読書が趣味だからといって、その読書を通じてお互いを理解したり共感したりといったことが難しいということを意味していないか。


リアルタイムなマーケティングに従う読書ならば、他人との共感も容易いでしょう。それこそ、文学賞を獲った最新の本は注目されやすいし、手に取る人も多いですから、コミュニケーションの糸口となる。会社の昼休みに「あの本って読みました?」なんて雑談を振ることもしやすい。最新の話題書を読むことは、日常において人と横のつながりを作ったり、維持することにもつながる。それでも、アニメとか音楽よりだいぶささやかなものかもしれませんね。


ところが、長年に渡り読書の習慣を培い、その人の関心や嗜好の独自性が強化されていくと、日常的なコミュニケーションの糸口としてはもはや期待できなくなってくる。共感性が乏しくなるからです。「和辻哲郎の『風土』に書かれてるモンスーン的類型ってあれ納得いきます?」なんて周りの人に言っても応えられる人がまずいない。自分が読んでいる本を周りが誰も知らないのですから。となると、反応が欲しければインターネットに頼るしかないですが、同じように世間離れ的な読書をしている同志で共感しあっている、わけでもなく、なんやら普通に殴り合っていたりするわけで、人間いくら本を読んでも平和は来ないのだからノーベル文学賞なんてのはちゃんちゃらおかしいと思いますです。

 

youtu.be

 GWの計画をサボっている。