口から出まかせ日記【表】

こんな寒かったっけ冬

見劣りの早い世の中ですね。

 

は積極的に流行りを追っていくタイプではなく、「いまさらそれ追うんかい」みたいな、過去の時代に遡り、気に入ったジャンルを徹底的に吸収、満足したら次の時代へ、みたいなことを繰り返してきました。音楽にしても、文学にしても、いまちょうど流行ってるものより、過去の産物の方が魅力的に映ったのです。20代の頃は特にその傾向が強く、なかなか趣味で話の合う人がおらずに苦労した。


今はどうかというと、文化を遡る熱意がだいぶ収まり、その余力で、いま流行ってるものを素直に観たり聴いたりするようになり、だいぶ中途半端な人間になりました。とはいえ、アニメだったら地上波でやっているものぐらいしか追ってません。ちいかわと葬送のフリーレンはチェックしている。あと観てるのはサザエさんスポンジボブぐらいだ。この中ならスポンジボブが頭一つ狂気が突き抜けている。

 

とりあえず音楽もAdoやYOASOBIをチェックしており、特にAdoのドスの効いた声は非常に好みです。ただ、これからする話は別にAdoだけじゃない。ちいかわもフリーレンも、いま流行っているもの全てに関わることですが、果たしてこれらが、何十年か先に「再履修」されることってあるんだろうかと思うのです。30年後、ちいかわがなんらかの形で生きながらえているとしたら、時代を遡って楽しむファンがいるということでしょう。でも、私には正直、ちいかわがそこまでの作品になる気配は微塵も感じられないのです(失礼かよ笑)

 
松尾芭蕉&曾良は日本文化最強コンテンツの一角。


というか、いま流行っている多くのものが、時代を超えていける予感をあまり感じられない。初めから短命なブームであることを、うっすらと察しつつ消費しているような感覚が、どんなところにも蔓延っている。そりゃあ、興行収入などを含めて、ヒットしたことが疑いようのない数値も出ますけど、その時点がピークという感じで、その先の寿命が無いのです。商業的に成功することと、作品への注目度が消尽するタイミングがほぼ同時にやってくる。


そして、次にやってくるのが明らかな「見劣り」です。これは別にそのコンテンツの質とは関係なく、爆発的に流行った記憶がまだ新しいほど、皮肉にも時代遅れの感覚を強く感じるようになる。数年前に流行ったタピオカミルクティーなんて、その流行った記憶がまだしっかりと残っているけど、今やあの爆発的な人気はなんだったのかというくらいひっそりとしているのは、記憶が新し過ぎるせいでかえって陳腐化してしまったわけですよね。


そんなの今に始まったことじゃないよと言われれば、そうです。今までそんなものはいくらでもあったのに、私たちはどんどん忘れていく。そんな、我々の忘れる力を熟知している人たちが、次に何を流行らそうかと企み、そのコンテンツの寿命期間すらとうに計算済みだとしたら、見事に踊らされているわけです。まあ、みんなで踊っているうちが楽しいのは確かですけど、これ、いつまで踊るんだろと正気に傾いてきたら、次の踊りが始まる前に、ちょっと真剣に考えた方がいいかもですね。

 

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今後も末長くカバーされるであろう曲を完璧に歌い切るAdo