大晦日が今年最後の燃えるゴミの日。なので、ギリギリでいつも生きていたい私は、最後まで家にある不要なものを仕分ける所存でおります。それと、冷蔵庫に賞味期限ギリギリの食材が多いことが分かり、それも年内に食い尽くさねばなりません。さらにはいくつか書類を仕上げたりせねばならず、なんだ、今年は最後までみっちりしてるじゃねーかって感じです。全部まとめてやってやんよぉ👹
あとブログ。私にとって大事なライフワークですからこれも今年中にケリをつけようと、こうして書いてるわけなんですが、ちょうどいま私のお尻の表面にですね、粉瘤っていうんですか、できものができやがりまして、それを押しつぶしながら椅子に座って書いている形となりツラい。ググったらこの粉瘤、舐めない方がいいらしいぞ。ゴルフボールくらいの大きさの粉瘤を手術で摘出した画像とか出てくるし。来年から「ほし氏の粉瘤治療日記」にタイトル変更するか。
それは年明けてからどうにかするとして、とりあえず今年を振り返ってみますと、多少、ブログに対する意識を変えた時期でもありました。投稿ペースを変えたりだとか、共同執筆のブログに参加したりなど、ブログに費やす時間や、内容に幅を持たせるような動きが多かったと思います。ただ、その背景に時間の捻出という悩みどころがあったのは事実。自由時間がなくなってきている。これは必然でしょうか。いや、そんなことはない。会社に辞表を叩きつけて24時間全て自分色に染めることだってできるんだ。僕に勇気が足りないだけなんだ。てことで、ちょっとみんなで来年あたり無職になって無敵になろうか😎
今年最後の投稿になると思うので、私のブログ観について改めて書きましょうか。とりあえず、書いているといいことがあるんじゃないかな、みたいな、ぼんやりしたモチベーションが、私にブログを書かせているのだろうとは思います。実際、いいことがあります。皆様に読んでもらったり、いい感じの人が周りに集まってきたりとか。私自身がリアルに行動するより、このブログを書くことによって得る影響の方がだんだん大きくなってきました。それは、「胸襟を開く」というのか、ブログで私の本音をある程度打ち明けているからこそ、そうなっているとも思えるのです。
元来、ブログはそういうものでしょうし、SNSはもっと気軽にというか、「明け透け」に打ち明けることもできる。ただ、それはどこか自傷的な印象も付与されます。これも伝統なのでしょうが、その人自身がダメージを負っていることや、トラウマに苛まれていることが文章を紡ぐ基点となり、また、それらを語る「資格」にすらなるようなところがある。もちろんそれを書くのはいいんです。いいんですが、それはそれとして、「書いているといいことがある」という期待を捨ててはいけないと私は思います。今より良くなるために書いている、という感覚を持ち続けるべきだと。
綺麗事かもしれませんね。病気になったり、お金がなくなったり、フラれたりだとか現実は色々ありますから。ただ、「良くなる」という期待はなにも、今の自分とすぐ並行するようにではなく、軽々と現時点を越えることもできるわけです。想像できない、できたとしても空想の類でしかない先の自分に託すようにして書くこともできる。夢物語のように聞こえるかもしれないですが、これもまた人類史における、文章を綴る伝統、その主軸となる感覚だと私は思います。可能性の断絶ではなく、期待を込めたからこそ、多くの文章が今に残り、読まれているのです。
ここで文章を書いている私たちもまた、その流れの一部にいる、同じ時代に奇跡的に生まれた仲間なのです。と、いうことで、引き続き逞しく妄想しながら私は書いていきたいと思います。どうぞ良いお年を♨️