口から出まかせ日記【表】

酢の物が美味しい時期になりまして。

ブログを書くのは仮の自分とする。

 

21。この記事を含めた当ブログの現時点での投稿総数です。けっこう書いてきたもんだ。今の更新ペースなら、だいたいあと2年半ぐらいで1000記事投稿達成するかしないかってとこでしょう。2027年くらいかなぁ。割と未来に感じるけど、このブログを開始した2019年の地点からみて、2024年なんて遥か先の未来だったのだから恐ろしい。ブログ書いてると時空がバグるぞ。


それはいいとして、ネタがないかと思い自分のブログを読み直してたんですけど、書く内容が一定というか、パターン化しているというか。2、3年前に書いた記事と最近の記事を比較しても差がほとんどないですね。身辺雑記+自分の思ったことを書くスタイルは変わってない。ブログとしてそれは進展がないのかというと、そうじゃなく、自分にとって理想的な文章の型を割と初期に発見できたからこそ、変える必要がなくなっている感じですか。それで文章の形が伝統芸化している。


あと自分の過去記事を読んでいて感じることとしては、書いている本人のことがあんまりよく分からないってことですね笑。もちろん私が書いたわけですし、書いた当時の生活事情とか仕事の状況、健康状態とか、背景情報として思い出せることはある。それなのに、なんだか曖昧にぼやけているというか。これだけ色々好き勝手書いていて、なんだったら顔も声もすでに表に出してる割に、不思議と匿名性の維持されたブログに仕上がっている印象がある。

 

 

そういえば、「身を窶(やつ)す」という言葉がありますね。私が好きな言葉です。万事において大切だと思っているんですが、こうしてブログを書いていても、「身を窶す」感覚、つまり、仮の自分が書いているという感覚は持ち続けたいと思っているんです。ブログが自己表現だと考えてる人にとっては「はぁ?」って感覚かもですが、そもそも文章は、読まれる人によって曲解されるし、書いた本人の印象を妄想されるものです。


文章の先に真の自分が現れることを期待し、奮起して書いたとしても、それを目にする他人の数と同数の、「自分じゃない自分」が増えるだけの話です。「これだけ書いてなんで分かってくれないんだ」とか言っても意味がない。文章を読んでもらうことは、自分の期待する答えじゃなく、自分にとって予期しないことが増える。それらを、その文章を書いた「真の自分」が全て受け止めていると考えるのなら、ただ消耗するだけです。


だから、「ブログを書く自分は分身のひとつ」ぐらいに捉えておけばいいのかもしれない。人格のひとつが、何故か一生懸命にブログを書いていて、真の自分は後ろから眺めているような感じなら気楽ですかね。だからと言って、「書いている内容についての責任は真の自分にはありませんよ〜」とはならない。自身の匿名性を守りつつ文章を書くのなら、他人の匿名性も守らなければ、卑怯な人でしかないですね。ということで、お互いにブログ人格という「分身」を相手に、ネタにしたりされたりしているのが一番平和だなぁと思います。春ですね。

 

youtu.be

ここんところずっと70年代ロックンロールを再履修中。ジェフ・ベックなら76年のアルバム“Wired“が好き。